いらっしゃいツナギです。
ふと言葉の意味を考えた、「幸せ」ってなんだろう?
幸せになるためにはどうしたらいいのだろう?自分にとっての幸せってなんだろう?幸せになるためにどんなことをしているだろう?
自分の身におきた過去の出来事を思い返してみる。幸せだったと思える過去はどんな時だったのか?
何も知らなかった10代、とても活発な自分だったからあれやこれやと動き回っていっぱい失敗した、経験として新しいことが多い年頃だから新鮮な出来事が多くて今にして思えば幸せだったのかもしれない。
20代も引き続き新しいことは増えていった、前半から後半にかけてライフスタイルや考え方が変わっていったのは少し大人としての礼儀を覚えたことと、世間に振り回されて自分をすり減らすようなダルいことを言ったり突拍子もない行動をしなくなっていった。20代は流れるように生きてきて自分の考えは世間の常識に押しつぶされるように相殺されていったように思う、あれは幸せだったのか?どうかは分からない。
30代は家族が出来て子供を授かった、記憶に残らないほどの多忙を生きて同時に自分自身の将来も考え始めた。仕事のことや家族のことを含めて幸せってなんだろう?と強く意識して考えるようになった気がする。忙しくなったライフスタルの中でいろいろなことを考えるようになったけど行動には及ばず考えだけが蓄積されていった。おそらく幸せだと思えないから幸せの正体を探るように模索していたと思う。思考も行動も苦しい30代だった。
現在40代前半。少しだけ安定した仕事と子供の成長により自分自身のことに時間を使うようになって多忙は相変わらずだけど充実した時間を過ごせるようになった、しかし今まさに充実の時間が崩されて不安定な日常になりモヤモヤしながら過ごしている。こんな状況になるとすべての環境を変えることが最善手なのだと過去の経験から学び知っている。いま変えるべきかこのまま様子を伺うべきか迷っている。
過去を思い返してみれば失敗も多かったけど行き当たりばったりな毎日のほうがとても面白くて刺激的な日々だった、現在は大人になったのでそんな毎日を送ってもそんなに失敗はしないだろう。失敗したときの損失と家族にかける迷惑を天秤にかける迷い。
最初のフレーズに戻ろう。幸せってなんだろうか?ふと思ったんだ。
「死合わせ」
怖い意味で言っていない。誰しも忘れがちだけどいつでもそうなる可能性がある中でそれを傍らに置くように生きていくことが、表裏一体のコインのように「しあわせ」を掴めるのではないかなと思った。未来のことなんて誰も分からないけどリスクをあえて取り入れて現状を打破する考えも悪くないと思える。そんな行動ができる人はそんなに多くはないと思いますが。
ではまた!










