
「エンドロールのつづき」(原題:Last Film Show、2021、日本公開2023年1月20日)を見る。インド映画で、2022年度のアカデミー賞国際映画賞のインド代表出品作品(ノミネート落選)。言語はグジャラート語。
インドのチャイ売りの少年が映画監督の夢へ向かって走り出す姿を、同国出身のパン・ナリン監督自身の実話をもとに描いたヒューマンドラマ。
少年と映写技師との交流など設定は「ニューシネマ・パラダイス」そのものだが、ストーリーはさらっと描かれていて先人への感謝とフイルムへのこだわりがメッセージとして伝わる。

タイトルが出る前の画面には「先人に感謝を」として、ルミエール、マイブリッジ、デヴィッド・リーン、キューブリック、タルコフスキーといった著名監督の名前が登場する。
ラストでは、デジタル機器により膨大な映画フイルムが溶かされて女性用のカラフルな腕輪となって再生されているシーンがある。主人公の少年はその腕輪の色などをみて、もともとの映画フイルムの中身をつぶやく。
「緑色と青の腕輪はマンモハン・デザイ監督の化身だ。あれは名優アミターブ・バッチャン、アミール・カーン、シャー・ルク・カーン、サルマーン・カーン、スーパースター ラジニカーント、グル・ダット、サタジット・レイ。」
ちなみに日本の映画監督としては、勅使河原宏、黒澤明などの名前が挙げられていた。
主人公の少年サマイは、フイルム映画を見てから、その魅力に取りつかれ、とくに光に強い関心を持つようになる。サマイは、映写技師に尋ねる。
サマイ:「映画はどうやって作る?」
映写技師ファザル:「映画か。物語がすべてだ。物語と映画には深い歴史がある。政治家が語るのは票を集めるため。店主が語るのは商品を売るため。金持ちが語るのは富を隠すため。(映画は)語り手にこそ未来はある。何をどう語るかが腕の見せどころ。ウソがうまくないとな。」
サマイ:「僕、ウソなら大得意だ」
2人は大笑いするのだった。
・・・
(ストーリー)
インドの田舎町で暮らす9歳の少年サマイ(バビン・ラバリ)は、学校に通いながら父(ディペン・ラバル)のチャイ店を手伝っている。
昔気質の厳格な父は映画を低劣なものと考えているが、信仰するカーリー女神の映画だけは特別だと言い、家族で映画を見に行くことになった。
初めて経験する映画の世界にすっかり心を奪われたサマイは再び映画館に忍び込むが、チケット代を払えず追い出されてしまう。
それを見た映写技師ファザル(バベーシュ・シュリマリ)は、料理上手なサマイの母(リチャー・ミーナ―)が作る弁当と引き換えに映写室から映画を見せると提案。


サマイは映写窓から見る様々な映画に圧倒され、自分も映画を作りたいと思うようになるのだった。そして、仲間たちと、音の出る映画の上映会を成功させるのだった。

・・・
小学校の教室では、インド建国の父ガンジーの非暴力などを教えていた。
映画では、インドでは、階級社会が厳しいが、国民は2つに分類されるという。英語ができる人、英語ができない人の二種類。映写技師のファザルは英語ができないため、映画がフイルムからデジタルに変わった段階で職を失ってしまう。
自身の夢を実現するためには、村を出ることが選択肢としてあるともいわれる。サマイは、映画を作る夢を叶えるために両親を説得して村を出るところで、この映画は終わる。
映写技師ファザル(上)とマサイ
<主な登場人物>
■サマイ:バビン・ラバリ…「サマイ」という名前は、時間という意味。両親にはお金がなく、あるのは時間だけだったことから名づけられた。母親の作った弁当を自分では食べずに、映写技師と取引。映写室の窓から映画を見られるかわりに、弁当を技師が食べるというもの。
■ファザル:バベーシュ・シュリマリ…名画座「ギャラクシー」の映写技師。職人。英語が苦手。サマイに映画を見せる代わりに、弁当をもらうという約束をする。サマイの母が作った弁当のうまさに感動する。
■サマイの父:ディペン・ラバル…駅でチャイ売りをしている。かつては牛500頭を飼育していたが、兄弟に騙し取られた。映画はいかがわしいとみていて、息子サマイが隠れて映画を見ていたことを叱責。
■サマイの母:リチャー・ミーナ―…心優しい美人の母。サマイのために毎日工夫した美味しい弁当を作る。オクラ嫌いのサマイがおかずにオクラを入れてほしいというのを不思議に思う(映写技師がオクラ好きで)。

サマイの母が作る料理はおいしそう。

アマプラで鑑賞(間もなく終了で)。
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