はじめて、劇場でみた洋画は「ブリット」だった。
それは、昭和4X年3月2日。
志望大学の合格発表の日だった。私は、3月下旬の誕生日なので、まだ17歳だった。
高校の同じクラスの友人と、それぞれの受験した大学の発表が同じ日だったため、
発表を見てから、新宿で落ち合うことにしていた。
私のほうは、前日までに滑り止めの大学に授業料を納めてしまっていた。
その当日は、第一志望の大学であり自信はあまりなかった。
万が一受かっていたら、授業料の二重払いを、親に頼み込まなければならない状況でもあった。
(番号はないだろう・・・)通し番号を、目で追った。
あった!(あれあれ~ 笑)
両親にしてみたら、すでに某大学に、授業料を納めて、一安心(最初だけは
経済的に援助するが、後は、自分でアルバイトでもして、学費はかせげ、ってな
考えだったようだ。まして、下宿も許されなかった。結果的には、自宅通学で、
片道2時間~2時間半を通うことに)
そのあたりは、家に帰ったあとで、知り合いの学校の先生が、親を説得して、
「(第一志望の)大学のほうが、絶対にいいですよ」と主張してくれ、
初年度の二回目の大学入学費用を工面してもらったのだった。
それはそうと、受かったので、新宿の喫茶店に出かけた。
ところが・・・。
相手の友人は、「ダメだったよ」だった。
ひとりだけ、喜ぶわけにはいかず、「残念だったな」とひとこと。
本人も、「来年は、がんばってみる」ということだったので安心。
本人は、結果的に1年後、ワンランク上の大学に合格した。
さて、落ち込んでも仕方がないので、新宿をぶらぶら。
「映画でも見よう」ということになり、看板を見て、中身も何も
知らずに、劇場に入ったのが、「ブリット」だったのだ。
洋画を劇場で見るのは初めて。
字幕を見ながらというのも、初体験だった。
スティーブ・マックィーンは、名前だけは知っていたという程度。
むしろ、TVの「0011 ナポレオンソロ」シリーズを見ていたので、
「お、ロバート・ボーンが出ているな」と思った。
「ブリット」を見ているうちに、例の車の追跡シーンが・・・。
サンフランシスコの町並み。
坂が多い。
ムスタングが、坂道を飛ばし、宙に浮く。
と思った瞬間、次には、どしんと地面に落ちる。
一瞬、車に乗っているような錯覚を覚えた。
(酔いそうになった、といったら大げさか)
マックィーンのタートルネックのセーターと、茶のジャケット。
ジャケットのうちに吊り下げた拳銃。
どれもかっこよかった。
空港内の銃撃戦。
音楽も、あとで知ったラロ・シフリンのすばらしい音楽。
映画を見た後は、友人と、「マックィーン、かっこいいなぁ~」で、
盛り上がり、入試発表のことなど、すっかり忘れてしまっていた。
4月に大学に予定通り入学した。
ところが、おりしも70年安保のころ。
大学は3-4ヶ月学内封鎖。
下火になっていたとはいえ、まだ学園紛争のさなかだった。
そんな中で、「学生時代」の4年間が始まった。
「アルバイト」「映画」「学校の授業」のどれかが、日常の
fpdの断面だった。
「ブリット」がきっかけで、映画(特に洋画)の鑑賞の歴史が
始まった。1970年代映画とブログのタイトルにしたのは、
そこに原点があるからである。
70年代に見た映画については、120本程度紹介しているが、これは、1年間に
見たおおよその本数。学生時代に見た映画のまだ5分の一程度ではないだろうか。
