会津藩士の怨念が、明治期ちょくちょく顔を出す。
「戊辰以来」
と、山川浩は口にする。もちろん会津人である。御一新後は陸軍内にて立身し、少将の地位にまで成った。柴五郎を筆頭に、後輩どもの世話役も実に律儀にやっている。そういう彼が述べるのだ。
戊辰この方、日本の牛耳はどうしようもなく関西者に執られきってしまったと。
戊辰戦争の敗北は関東者、――特に東北人士らの立つ瀬というのをすっかり奪ってしまったと。
機会あるたび、力を込めて語るのだ。
「二十年来天下の事独り関西人の知る処にして関東人の知らざる処なり、内閣大臣は誰ぞ、薩長人士なり、改進党の首領は誰ぞ、肥前の大隈なり、自治党は長州の井上なり、大同団結は土州の後藤なり、郵船会社も関西人の掌裡にあり、三菱会社も同じく関西人の所有なり、誠に吾等東北人は世にあれどもなきが如し、此分にて過ぎ行きなば遺憾の極なり、是非会津魂を振興して関西人の奴隷たらず、関西人の支配を受けず、即ち独立党を立てんことを余が諸君に熱望する所なり、慶三戊辰以来、関西人に屈服したる恥辱を雪がんことを余が諸君に熱望する所なり」
明治二十二年四月二十六日、会津に於いて
勝者と敗者、優者と劣者。
戦火を交換し合った末に成立した関係は容易なことでは崩せない。烙印と同じだ。現代日本の有り様がよく証明しているだろう。アメリカ様の膝下に額づき八十年を経るというのに、屈辱的な覊絆から未だ脱することならず、精神的には敗戦国のままである。
山川浩の演説は、そうした状況下に於いて内攻する鬱懐を如実に示したものとして味わう価値があるだろう。

(藤子・F・不二雄『超兵器ガ壱號』より)
復讐は
「人間は常に復讐といふ観念がなくちゃならぬと思ふ。誰が何と云っても人間は此の恩怨の関係から離れる事が出来ない。殊に怨みはなかなか忘れ難いものである。古往今来人間の歴史は、一面から見れば総て恩怨の繋がりである。果たして然らば、所詮此の免れ難い人間の運命を、寧ろ有効に利用するのが我々の道ではないか」──嘗て福澤桃介が、斯様に語ったままである。人を動かす燃料として、疑いもなく最上級の逸品だ。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
↓ ↓ ↓
![]()