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死が死を誘う


 地球に熔けると表現すれば、まあまあ聞こえは良かろうが――。


 マグマを慕って自由落下に身をまかす、火口投身の試みは三原山の独占物でないらしい。


 阿蘇山もまた、その舞台に使われた。か細いながら、それは確かにあったのだ。


 明治三十九年に渋川玄耳が記録している、阿蘇山に新噴火口が出来た、旧口と共に盛に噴火して居る、先日来二人まで投身者が有ったから、山霊が穢れを怒って暴れるのだ、と山下の村民は大に危惧を抱いて居る云々と。

 

 

20140516阿蘇山火口

Wikipediaより、阿蘇山中央火口丘)

 


 火山としての格ならば、むしろ大いに上回る。


 にも拘らず阿蘇山が、ついに三原山になれなんだ理由ワケ。自殺用のスポットとしてメッカたりえず、マイナーの域に止まったのは、やはり偶像アイドルの不在に因るのが大だろう。


 人を動かすには物語が肝腎だ。華厳の滝」と「藤村操」に見るように、ある一ヶ所が死の聖地として昇華される契機には、若い生命いのちがその馥郁たる魂を散らす必要があるらしい。


 さすればこそ病んだ霊魂の持ち主たちが、残香に惹かれるようにして、陸続集い来るのであろう。艶やかな死が無数の雑多な死を招く。「負の引力」とも呼びたくなる作用であった。

 

 

Kegon Taki

Wikipediaより、華厳滝

 


 ところで華厳の瀑布といえば、その滝壺の附近にて、営業していた茶屋がある。


 今では古地図にのみ遺る、「五郎平茶屋」それ・・である。


 そこへあるとき、松崎天民が訪ねていった。


 水菓子などを喰らいつつ、百戦錬磨のジャーナリストの風格を面目躍如と発揮して、応対に出た店主から、猟奇噺の数々をあれよあれよと引き出している。以下、その「成果」を載せておく。

 


こゝに斯うして茶店を出して居ますと、時には上から飛込む所を、明瞭はっきりと見ることが御座います。飛込んだ時には奴凧やっこだこの様ですが、直ぐ真ッ逆様になって、アッと云ふ間も何もありません、その当座は滝壺の底に沈んで容易に判りませんけど、一週間か十日二十日と経つ間には、必ず死体が浮いて出ます。水腫れに腐ったり、骨と皮ばかりになったり、種々いろいろですよ」


たった今までこの茶店で休んで、面白い世間話をした人が、滝壺の方へ行った限り行方が判らなくなる様な事も、決して珍しい事では御座いません、巡査派出所を建てましても、飛込む者を一々見付け出して、抱き止める訳にも参りませんから、近頃は放ってある様ですが、思へば恐ろしい魔の滝で御座いますよ」

 


 藤村操と「巖頭之感」の影響は、蓋し深甚と言わざるを得ぬ。

 

 

 


 なんといっても「ケゴる」なる動詞までをも発生させた程である。意味はもちろん、察しの通り。もしも滝に霊あらば、


 ――おれこそいい面の皮だよ。


 と、さだめし露骨に閉口したに相違ない。

 

 

 

 

 


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