新学期が
まずは何にも先だって、級長を
従来ならば指名制でカタがつく。担任教師が「これは」と思う生徒を選び、諾と言わせるだけであったが――。昭和八年、秋田県平鹿郡十文字町尋常高等小学校にては、少々事情を異にする。
「選挙制を導入しましょう」
そういう断が職員会議で下された。
(Wikipediaより、十文字駅)
広く世間を眺めれば、普通選挙も三度を重ね、社会に定着しつつある。
この際だ、公民教育の一環として、児童たちにも早いうちから慣らしておこう。誰を級長に選出するか、児童自身に、投票により決めさせるのだ。「一票の重み」という言葉、身を以って知ってくれるはず――。
方向性に過誤はない。
が、いざ実行に移してみると、目も当てられないザマだった。
「なあ君、どうだい、俺に投票してくれよ。もちろんタダとは言わないぜ」
白昼堂々、抱負をぶつけ合うなどと、まだるっこしいやり方は子供達は好まない。
それよりむしろ袖の下を融通するに如くはない。賄賂といっても所詮は子供だ、キャラメルはじめ甘味だの、ちょっと小洒落た雑記帳だの、その程度が関の山。しかしこれは、この行為は、本質的には疑いもなく――…。

(キャラメル工場、作業風景)
要するに。
盛夏のみぎり
「とんだ公民教育になりましたなあ」
皮肉とも同情ともつかぬ輿論の声に、教諭陣らはただひたすらに恐れ入るしかなかったそうな。

(秋田県、自転車に乗る女性)
奇しくもこのとし、国定教科書『小学国語読本』が十六年ぶりに改訂されて、なんと色刷りになっている。
そのサンプルを手に取って、菊池寛がまた「抜き身」すぎる評論を一席派手に打っていた。
「今までは、子供の持ってゐる本の中で、一番高くて、一番汚くて一番つまらないものが教科書であった。だが、改正になった本を一見すると、さういふそしりだけは免れたといってよい。しかし教科書が子供の持ってゐるものの中で、一番安くて一番キレイで一番面白くためになる本であってもいいと思ふのであるが、さういふ理想からは、遥に遠いといってよい。…(中略)…この本が、国家が国費を以て作り、何等の選択を許さず唯一無二の本として、現在及び将来の幾億の児童に強制的に買はせる本かと思ふと、誰でも少し情なくなるだらうと思ふ」
滅多打ちといっていい。
しかし
(Wikipediaより、国語読本)
「教科書が子供の持ってゐるものの中で、一番安くて一番キレイで一番面白くためになる本であってもいい」か。彼の理想はあまりに遠い。千年経ってもそんな日は訪れないんじゃあるまいか。体験を鑑みる限り、悲観論に沈まずにはいられない。
菊池の言葉は、更にこの先、
「この頃の雑誌界で、婦人雑誌や少年雑誌の動強ぶりには、誰でも驚くであらう。五十銭の定価で無慮五百ペーヂもあり、それにオマケが三つもついて居る。まさに出版界の奇蹟である。だが、今度の色刷の新教科書を見ても、誰もそんな気はしないだらう。あれでも文相の英断によって、やっと七銭になったさうである。しかし私はこれが七銭もかかるのかと思ふ。書いた人に原稿料を払うわけでもあるまいし、文部省が印税を取るわけでもないはずだのに、どうして七銭もかかるのかしらと思ふのである。あの位の出版物なら、少年雑誌のオマケにでもついてゐさうな気がして、仕様がないのである」
言いたいことを好き勝手言いたい一心で、出版社を興しただけのことはある。
説得力に満ち溢れた文だった。
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