大阪京橋のGallery 305にて開催予定の「コンビニプリント展」にて、10/15から10/19まで写真を展示します。
今回はコンビニの複合機で出力する写真を集めた企画展ということで、普段僕が撮っている写真(フィルムxモノクロxバライタプリント)とは異なるアプローチで撮った写真を展示します。
展示メディアが普通紙という、バライタに比べたらティッシュのような、あまりに刹那的で安っぽいメディアだから。当然写っているものも違うと思います。

ちょろっと見えているステートメントにある通り、今回展示する写真は東京と横浜をぶらぶら歩いて撮り集めた「ジャンクスペース」です。
人様の空間まで写真に収めて「ジャンク」とレッテル貼りをした写真を東京で展示したら「ここ俺んちじゃん!ふざけんなよ!」って怒られそうなので、大阪で展示できるのはとてもいい機会だと思ってます。
ジャンクスペースという言葉自体は2000年頃にレム・コールハースが提唱したもので、本来の意図は「近代化が走りきったあとに残されたもの」であり、少し言い換えると秩序を失った資本主義が生み出した「パッチワーク化した無秩序な都市景観」というものです。*1。
今回の展示で示す「ジャンク」とは「汚い空間」ではなく、「秩序を失った空間」の展示であり、都市の隙間に恥ずかしげもなく挿入された無秩序や不整合さに麻痺している自身への気付きです。さらに率直に言えば、そんな無秩序を平気な顔して街中に挿入する厚顔無恥な連中への不満の表明です*2。
いまの日本の郊外に横たわる都市景観は、場当たり的構造物により断片化され、大量生産される素材を使った構造物により高度に「匿名化」された景観であり、個性も出自も失ったのっぺらぼうの孤児のような空間*3です。
そもそも都市計画なんて概念は日本人の遺伝子には備わっておらず、江戸時代の風俗を振り返る限り、日本人の本質は場当たり的で野放図らしいのだけど、これがグローバリズムがもたらした合理性*4と非常に相性が良かったがために、長い間都市景観や景観の不整合については問題視されてこなかったし、お屋敷を解体した跡地にチープ極まりない狭小戸建てを5-6件建てても、何も心が痛まない人たちが幅を利かせてしまった結果が今の金太郎飴のような都市景観ではないでしょうか。
…とまぁ、およそこの様な意図と説明を写真付きで貼り出したら、不動産業やデベロッパーの人をはじめ怒る人がいるかもしれないので*5、ステートメントには適当なことを書いているけれど、FlickrにもInstagramにもアップしない写真ばかりなので、ぜひご覧頂ければ。




ゴミのような都市景観は、普通紙に印刷するくらいで丁度いいだろう。
*1:厳密に言うとジャンクスペースは空間論であり、ジャンクスペースの数年前に出されたジェネリックシティが都市論にあたる
*2:僕の感じるジャンクさを言語化するならば、街をぶらぶら歩きながら「気持ち悪いなぁ、居心地悪いなぁ」と感じる都市景観のことで、それは隣近所と連続していない無節操な雑居ビルだったり敷地一杯に建てられたペンシル戸建だったり、外装がレンガ風のメルヘンな木造住宅だったり。要するに周囲の景観や歴史と不連続になっている「断片化」したまま老朽化した。そんな空間です。
*3:個性も出自も失った…というのはグローバリズムが合理主義と一緒に連れてきた問題児であり、都心の再開発を指して「金太郎飴のような再開発」と揶揄されるものは、まさにレムが20年以上前に指摘していたことが問題として芽吹いたこと。
*4:グローバリズムがもたらした合理性について、都市景観の面から述べれば、それは標準化と規格化、サプライチェーンの最適化がもたらすコスト削減と利益最大化を最優先する「経済合理性」であり、これが都市をジェネリック化するための原動力として働いた一方で、文化的多様性を否定し地域社会をグローバリズムの価値観に組み込んだ結果、社会的・環境的には非合理な状況(格差拡大、資源浪費、ローカル産業の空洞化など)を生んだ