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遠い未来の秋に思いを寄せて

いつまで続くんだこの夏…と思っていたらあれよあれよと言う間に空気が秋めいてしまった。

長く伸びた影のコントラストは次第に薄くなり光量がなんとなく薄くなってくると、いよいよ夏を手仕舞いする時期に差し掛かってきたなって気分になる。ここからは年末に向けて一気に季節が速度を増すのだ。

 

今年は冬に向かうにつれ楽しいことが目白押しだ。

お鍋も美味いし今年は年末に西へ行く用事がありそうだし、11月12月は連続で九州に泊まりで足を伸ばす予定。自分がやれていないこと、写真の展示もわずかながらやるし知らない土地をぶらぶら歩いて写真を撮ることもできそう。楽しみで仕方ない。

 

N0542025 flic.kr

Late Summer, Early Autumn: Pentax SP/Flektogon 35mm Kodak Double-X 5222

 

溜まったネガを現像しながら水温の変化でなんとなく季節を感じていたら、子供が宿題を手伝ってくれと声をかけてきた。どうも秋らしい文章を書く宿題のようで「秋らしいってなんだろう?」と頭を捻っていた。

都会の子に比べたら身の回りに秋なんてたくさんあるのに、頭の中身が年中夏休みの親に育てられた結果、四季の味わいを覚えなかったのかもしれない。

 

田舎育ちの僕にとって季節は温度以外にもたくさんの要素を含んでいた。

カメムシの匂いや蛙の鳴き声、風にそよぐ青々とした稲、潮風の香りや神社の木漏れ日、湿った土の匂いと何処からともなく漂ってくる牛舎の臭い、野焼きの煙臭、太鼓の音や鈴虫の声、電撃殺虫機に当たった蚊がばちばちと焼き殺されていく音、近づいては遠くなる正体不明の焼き芋屋の声、隣の家から聞こえる相撲中継だとか野球中継。

田舎に比べれば東京は昔から四季を感じる機会が少なかったけれど、一軒家が姿を消しマンションだらけになった今の東京では、四季の気配はさらに薄くなっている。

 

そんないまの東京っ子に思いを巡らせる度に不思議に感じるのだが、汚れも騒音も剥ぎ取られたクリーンルームのような東京のマンションで育った子供は日本の四季をどう把握するのだろう?

 

昔に比べて地域性も薄くなり神社のお祭りも「なんだかよくわからないけど続けている行事」になりつつあるし、季節ごとの香りや音と接する機会もなく気温と湿度の変化しかわからなかったら、日本の四季なんて分かりようがないし頭で理解できても味わいようがない。

そんな子に「日本の秋」を書けと言ったら、どんな秋を表現するんだろう?*1

 

時代が進むにつれて東京の子供から日本人のアイデンティティが引き剥がされていて、(とても乱暴な言い方をすれば)日常会話を英語で統一してしまえば東京の子はどこの国の都市の子供とだって交換可能な存在ではないか。

それってジェネリックな金太郎飴都市で養殖された金太郎人間だし、グローバリズムに飲み込まれたグローバル根無草じゃないだろうか。

 

僕は日本人だしアイデンティティを放棄することなんてできない。

グローバル化が加速する世界線において自らアイデンティティを放棄するような真似をするのは間違っている。世界を見渡したら歴史のない国や歴史を自ら破壊した国、破壊された国ばかりなんだから。

自ら日本のアイデンティティを失っていったら、遠い未来に日本の秋はどれくらい残っているだろう?気温と湿度は残るだろうけれど。

 

こんなことを考えながら、乾燥が終わったネガを透かして晩秋に思いを巡らせるのであった。

*1:余計なお世話ですか、ああそうですか。




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