うだるような暑さが残る7月初旬の夕方、左手首にぶら下げたスーパーのビニール袋はずしりと重く、ぶらぶらと揺れるたびに持ち手は次第に伸びて細くなり、僕の左手首に食いこんでいく。
僕の左手首は段々と血色が悪くなり、たまらず持ち手をずらすと紐で巻かれた贈答用のハムのようにビニール袋の持ち手跡がくっきり残っていた。
家までの長い道のりをよたよたと歩きながら、ふと右手に持ったままのスマートフォンに気付く。
こんなに重い荷物を持っているくたくたの仕事帰りの道すがら、スマートフォンで何を見ようというのだろう。見るものなんて何もないはずなのに、なぜ僕の右手はスマートフォンを手放せないのだろう。
食料品とビールでいっぱいのビニール袋はびっしりと汗をかいていた。
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いつも大竹に勝てない印象があったけど、聞くところによると10試合中8試合同じような無様な負け方をしているらしい。毎度同じ負け方をしたあとに監督となった新井が「反省する、もっと考える」とコメントをする。そして同じように早打ちして凡打の山を作って負ける。まるでコントのようだ。
当然のようにニュースのコメント欄やXのTLは「新井何やってんだ」で埋まる。
実際のところ根本的な対策を何もやってないから同じ負け方するわけだが、負のオーラに満ちたチーム状況に四方八方からネガティブなトッピングをまぶす様はあまり気分の良いものではない。
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彼女は俯いて小さなディスプレイと対峙している。何度も何度も文章をリライトし、写真を整えてInstagramに投稿するのだ。
どうやったら素敵な自分を共有できるだろうか、素敵な生活や経験をアップできるだろうかという試行錯誤に1時間を費やし、フォロワーからのコメントを丁寧に返信することに30-40分を費やしている。撮影を入れたらもっとたくさんの時間を使っているかもしれない。自撮り動画を編集しながら自分を嫌になったりしないものだろうか?
夕飯が終わった静かなリビングでスマートフォンを眺めている。
話しかけても、返事はない。彼女は小さなディスプレイ越しに世界と繋がっていると信じている。そんな人に話しかけても無駄なのだ。
SNSはリアルな人の繋がりを変えてしまった。
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その夜、僕はXのアカウントを停止した。
ネットに置いておいた分身の死だ、なんて一瞬思ったけどそんな大袈裟なことではない。実際は仮死や冬眠のようなものなので、30日以内なら再開できるらしい。
でも僕は避難用のアカウントを残し、このままXはおしまいにしようと思う。SNSと縁を切っていけば僕の右手はスマートフォンを握らずに済むのだから。
仕事場と家の往復しかできない僕は、人の成功や夢の実現なんて見てもただ悔しいだけだし家族を養うために夢を諦めた過去に思いを巡らせて辛くなるだけなのだ。
写真のコミュニティに属することもできていないのも酷く引け目を感じている。
Xを眺めていると人が嫌いになるというか、どうしようもなく惨めな気分になることがあって、めちゃくちゃになった気分を元に戻すために数日かかってしまうことだってある。
さよならX。
Instagramはまだアカウントを残しているので、御用があればこちらからDMくださいまし。