
今年は染井吉野4/22・南殿4/23の予想
歴史ある町には怖い昔話の1つ2つはあるもの。
今回は松前に伝わる不可思議な物語を紹介します。
【闇の夜の井戸】
幼くして藩主となった矩広(1660-1721年)の代、松前家の菩提寺・法幢寺の住職が抗争に巻き込まれ惨殺されたという「門昌庵事件」など、家老たちによる権力争いが頻発してました。東蝦夷地のシベチャリ(静内)でシャクシャインが蜂起したのもこの頃(1669年)です。
当時、本丸御門の前にあった井戸で大沢多治郎兵衛という忠臣が妬む者たちにより生き埋めにされ、その後、領内では異変が相次ぎ人々は祟りと恐れたそうです。
現在の井戸は天守の西、シャクシャイン耳塚の隣にあります。

【血脈桜】
宝暦年間(1751-1764年)のこと。

天守のある「城」ではなく「館」だった頃
堀と2層櫓が3つ配置されていた模様
光善寺本堂改修の際、境内にあった八重桜の大木を伐採することとなった前夜。住職の枕元に現れた女性が血脈(仏の弟子となったことを記した書簡)を所望したため、住職は念仏を唱え血脈を与えました。
翌朝、まさに切り倒されんとする桜の葉の陰に昨夜の血脈を見つけた住職は、直ちに伐採を止めて桜の供養を行ったとのことです。
「日本さくら名所百選」にも選定されてる松前公園の代表品種・南殿(松前早咲)は、この桜を親木として殖やされたもの。


遥か東方で勃発した国後・目梨の戦い(1789年)で
鎮圧に協力した首長たちが描かれてます
【妖刀村正】
幕末、小格の外様大名ながらも西洋通を見込まれ老中に抜擢された
12代藩主・崇広(1829-1866年)の頃。
内地で人を殺め松前に潜伏していた浪人。やがて本性を現し僧侶を手に掛けたかどで捕らえられ打ち首に。彼が所持していた刀は刑に立ち会った保田甚八という藩士が貰い受け、ひとり娘の嫁入り時に護身用として持たせました。
ところが酒乱の娘婿は酔った勢いでこの刀「村正」を持ち出し手当たり次第に殺戮を引き起こす‥😱娘婿は御用となり建石野の刑場(現在の中心市街西端あたり)で斬首、妖刀村正は密かに処分されたという。(合田一道 著「北海道いがいいがい物語」より引用)

夫婦桜(染井吉野&南殿)が門前におがってます

幕府より築城が命ぜられたのは1849年

桔梗~大中山の扇状地扇頂(写真右方面)
城下ごと移転となり費用が嵩むこと
また交易の利便性が損なわれることから
却下されたようです(昨年11月撮影)

箱館戦争(1868-1869年)で土方歳三が率いる
旧幕府軍の攻撃を受け落城
1874年には天守などを残し解体・廃城
国宝指定(1941年)されるも8年後に火災で焼失

現在の基準では耐震性に問題があるため
改修にあたり木造での復元が計画されています

解体してから現位置で再建となると
しばらくは天守(資料館)なしの状態になります
ならば2層櫓の1つを先に復元し資料館を仮移設
その間に天守を復元すれば天守+櫓が残り一石二鳥!と
町に提案してみましたが‥
「櫓の寸法図が発見されず復元根拠がないので
文化庁の認可が下りない」との回答でした
テーマパークみたく何でもOKな訳でないのですね
浅はかな素人考えでした😅