
牧場をわたる風に吹かれて子馬が二頭
麓の村へと帰つてゆくのを
ながめてゐた
燃えるやうな草叢の夕暮に
白い通路が乾く
乾いたあとから
たのしさうにしつぽを振つて
追つてゆく
やがて行きついた村の果に
母のやうなあかりが光つてゐやう
ああ秋だ
林のなかにはまだ郭公がゐて
美しい声で歌つてゐるやうだ
(秋谷豊「牧歌」)
国語の教科書の記憶を基にググったら出てきました
当時この詩で朧気に抱いた馬への憧憬
まさかここまで自分の人生に係わるとは‥
前回、穀物に関して「内地産米は短日植物」「近世アイヌ民族の主食は米」だった話、トートバッグのイラストについて触れました。

全勝でダービーを制した後に破傷風で逝った
三石産の顕彰馬トキノミノル
共同通信杯にその名が附されてます
知らなかった、又は思い違いしてて、ひょんなことから「え!そうだったの?」なんて呆気なく判明する場合があります。
それは偶然だったりググった結果だったり‥

曲がりながら奥まで
穏やかな木漏れ日が差して
秋に染まる木々の色
(岩沢千早「夏は過ぎて」)
これも音楽の教科書にあったものの
授業では扱わずどんな曲か分からず終いでした
先日ようやくネットで発見
思ってたのと随分違いましたが‥
長女が小1の頃、一面に白い花が開く校庭で「パパが子供の時から函館でも咲いてた花だけど何だべ?」「それデージーだよ!」「えっ雛菊なの?野生化したやつか!」なぜ長女が知ってたのでしょう。お陰で長年の疑問が解けてスッキリ。

羆の足跡?いやチュンコの砂浴びでしょ
近くのバス停で目撃され油断出来ませんが
大学の馬術部顧問だったK先生は自分が専攻する農業工学科の助手(当時)で、毎朝キャンパス内にある官舎から研究棟へチャリ通勤する際に必ず馬場の向こう側からしばらくの間、練習を眺めていくのが日課でした。厳しい教官でしたが、馬術部生活で満足に授業にも出られない私に何かと世話を焼いて頂きました。単位が足りてないのに留年せず4年で卒業、就職が出来たのもK先生のお陰です。
先日、ふと馬術部OB名簿を見て‥あれ?K先生の名前がある!
ご自身からは1回も馬の話はなく、同年代のお馴染みの緒先輩がK先生を話題にしたこともなく、獣医学科の先生でもなかったので「大学側の担当者だろう」と勝手に思い込んでたのです。本当に今更、何で気付かなかったんだ?

楽勝と思いきや練習で間違えてました‥おーい!
ほかにも最近になって知った(郷土の偉人として何となく聞いたことはありましたが)函館大経という競馬・馬術界の始祖となった人物の存在。
江戸後期、松前藩復領後の様似場所幌満(現在の日高管内様似町・アポイ岳の麓)で幌満川の渡守の家に生まれ、江戸に上り後の箱館奉行・栗本鋤雲に馬付きとして奉公。幕府騎兵隊から明治政府兵部省を経て開拓使へ出仕し馬事振興に尽力、函館競馬場の設立にも関与します。
伝説の馬術師と称され調教師・騎手人脈の頂点にもなっている函館ゆかりの凄いホースマンがいたとは改めて驚きです。

たーんとお上がり

ちなみに猫じゃらし(エノコログサ)は粟の原種

No.6ABダブルのアプローチが思ったより短い‥
この日の夕刻3頭の羆が放牧地の向こうに出没😱

こしゃくな!このワシを試しおって!by私の中の雄山


