
先住のアイヌの人々はカムイミンタラ
(神々の遊ぶ庭)と呼んでいました
ストーブを焚き始めたというのに氷も融けてしまった浦河。これならまだ炬燵で過ごせたかも。ビンボー人には有難い暖冬ですが、必ず来るであろうシッペ返しが恐ろしい‥

今季まだ一度もママチャリ通勤途切れてません
階段を降りるとき氷ではなく泥濘で転びました

土工ができるなんて1月とは思えぬ光景‥
前回、宗谷で日本初のストーブを使用した幕吏(実際には身重の妻がいた部下の家に設置)が、女人禁制だった積丹以遠の地へ婦人同伴で赴任したことに触れました。彼は恐れおののく船乗りを奮い立たせ、神威岬へ向け銃弾を撃ち込んだそうです。
江差追分にも「忍路(オショロ)・高島およびもないがせめて歌棄(ウタスツ)・磯谷まで」という一節がありますが、元々は松前藩が円滑に奥地を経営するため流布した迷信とされてます。
僅か数百の藩士で目が届く範囲はせいぜい道南、広大な蝦夷地の奥で事が起きても女子供がいては迅速な対処が困難。そこでシャクシャインの蜂起後「女人を乗せた舟が神威岬を通過すれば祟りで難破する」との噂を広めたそうです。
15世紀のコシャマイン・17世紀のシャクシャインに続く蝦夷3大蜂起のラスト「国後・目梨の戦い」は1789年、遥か東方(現在の根室管内)で勃発しました。松前を紀伊半島南端とすると根室は茨城付近になります。
実は私、半世紀以上も道民やってて根室管内は未踏の地。リモートが普及する前、根室から札幌への出張は飛行機命令が普通でした。(前後泊より安い)

新冠で騙し討ちされたシャクシャイン
国後・目梨で松前藩がとった策は懐柔でした
道東一帯に影響力を持つ首長・ツキノエ(写真中央)を
説得し蜂起に加わったアイヌを投降させました

功績のあった12人のアイヌを描いた「夷酋列像」
出来る限り穏便に鎮圧した甲斐もなく、幕府から目を付けられた松前藩はその後、移封の憂き目に遭います。
中世より和人が住み着き近世には幕藩体制に組み込まれた道南、古くからアイヌ民族の有力な集団が多く存在していた日胆。これらの沿岸部は最寒月の平均が-3℃を下回らない、いわゆる温帯に属し、北海道に適応したドサンコや内地から帰化した様々な動植物の分布とも重なります。
猿から進化したヒトも、まずはそういった温暖な地域より定住を始め、ストーブというアイテムを得て初めて過酷な奥地の開拓が可能となったのでしょう。

プラスの日が続き自宅の屋根からやっと落雪
長期に渡り圧縮され宿便💩みたく固まってました
近所でも落雪による重大事故が発生😱
うかうか道も歩けません

ナナカマドに寄生するヤドリギの緑が目立ちます

吹きさらしに弱いクマイザサは雪の中で越冬
吹きさらしに強く積雪に弱いミヤコザサは
旭川で見られません🎋上手く棲み分けています


近所で遭難してはシャレにならないので引き返します

昔から吉備団子といえば栗山の谷田製菓ですね~
ミルク味は中々オツでした