年末にきょんさんとお話ししたときに、「何を一番大事にしたいんですか?」といったことを問われて、よいプロダクト、よいチーム、よいプロセスや理論、それを広めること、自分自身の状態(がよいこと)、等々の中で何を一番大事にしたいのか、ということを考えたとき、「欲張りだから全部なんですよね」と答えたことをよく覚えている。欲張りだから、という言葉には、全部って答えるのが恥ずかしいというか、選ぶ覚悟がないことへの引け目みたいなものがあったのだと思う。
全部大事にしたい。そして今、全部大事にしていい、と思っている。というか、全部大事にすることこそが大事だ、とさえ思っている。僕自身にとっては、ということですね。
全部大事にしたい、ということが選べない弱さの表れであるというのは、実際そうではあると思う。でも同時に、どれも諦めたくないということが紛れもない本心なのだ。
いいプロダクトを作りたい、という人がいる。いいチームを作りたい、という人もいる。いいプロダクトを作るために、いいチームを作る必要がある、という人もいる。どれも大事な思いだし、正しいとも思う。
でも、僕の場合は、全部であることが特別大事なのだ。いやいや、誰だってそうだろ、と思っていたけれど、もしかして、僕が特にそうなのかもしれない、というか、どうやらそうみたいだ、ということに気づきつつある。
欲張りなのだ。これは引け目があるから言うのではなく、事実、そうなのだ。
そして、全部を求めることは、「無理」ではない、と思う。全部が満たされる場所というのは、容易ではないかもしれないが、確かにある。トレードオフではなく、妥協でもなく、調和。別に、それぞれの欲求に一次元の評価軸があって、それらの数値を全部最大化したい、ということを言っているわけではない。すべてが同時によくなっている、と誰もが感じられる、調和した状態というのがあるはずで、それを目指したい、ということを言っている。
これは、クリストファー・アレグザンダーが言う「全体性」の概念とかなり関係がある、と思っている。要は、全体性の高い状態、そしてそこから無名の質が感じられる状態を作り出したい(作り出し続けていきたい)、と思っているのだと思う。
2024年の暮れに、こう書いていた。
価値を生み出している、と思えることをやる。
これは、僕がずっと探しあぐねていた「やりたいこと」を、ついに言語化できた、と感じた瞬間だった。
ただ、これだけではうまくいかなかった。だから、去年の暮れには、こう書いた。
いずれにせよ、わからない、というところに戻ってきた、ということですね。
「全体性の高い状態、そしてそこから無名の質が感じられる状態を作り出したい」。わからない、というところから、ここまでは進んだ。
これは、「価値を生み出している、と思えることをやる」ということを別の言葉で言い換えただけだな、とも思う。別の言葉で言い換えることができたということは、解像度が上がったとは言えるのかな。でも、抽象度は変わっていない、つまり、具体的に何をするかという意味では一歩も進んでいないようにも思える。
それでも、力強い目標にはなった、のではないか。正直、難易度はとても高いと思う。だからこそ、目指す価値がある。そう思える。
RSGT2026では、「なかったものを作るんや」という思いを新たにした。きょんさんの、人=責任という古いやり方から、「手順」への着目へという革新。平鍋さんの、スクラムの根本原理を解き明かそうという試み。及部さんの、スクラムをコンフォートゾーンと言い切る覚悟と脱却への取り組み。それらから、勇気をもらった。
そして、色々なところで多く聞かれる「AIでアウトプットは増えたが、アウトカムは増えない」といった課題感への言及。RSGTのような、日本の最先端(に近いであろう)の人たちが集まる場でも、まだそこなんだな、と思うと、安心感(置いていかれてなくてよかった)よりは、危機感(こんなことじゃ、よりよい世の中はなかなか来ないぞ)がある。
15年間ソフトウェアエンジニアをやってきて、自分の中にもそれなりの暗黙知がある。それを最大限使って、周りの人たちの力も借りながら、なかったものを作る。プロダクト、チーム、プロセスや理論。そして、それを広めること。最後に、いやむしろ最初に、自分自身が充実していること。
それくらい、欲張ってみてもいいだろう。