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新しさに触れる

最近になって、ほうれい線まではいかないけれど、頬のたるみによる鼻回りの影が徐々に濃くなっていることに気づいた。初めは受け入れたくなくて、気のせいかなと鏡の前で口の中を空気でいっぱいにしたり、車のミラーに映っている自分の顔がふいに見えたときの「あ、前より老けてる」という感覚を、「いやいや20代の頃からこうだった」と記憶を書き換えたりしていた。まあコンシーラーで誤魔化せる程度ではあったし、カバーするための知識はインプットして、日によってカバーしたりしなかったりする。いくらカバーしても、ほんのり影は見えてモヤモヤしていたけれど、先ほど年上の女優さんにも同じ影があったのにとても綺麗だったのを見て、これじゃん!となった。年を重ねることでいろいろな肌悩みは出てくる。全て隠したくなるけれど、隠しても自分が理想としている姿が10代や20代のものなら、それは実際に10代、20代である人たちには敵わない。だから理想を変える必要があって、そもそも年を重ねることをネガティブに捉えているのが誤りだったと気がつく。理想を若さから切り離すことで、変化そのものを美として捉えられるようになれたら、年を重ねることをポジティブに捉えられるのではないか。私の理想は、笑顔が素敵なおばあちゃんになることなので、頬のたるみも魅力的に映れば問題がないはずで、そのために必要なのは高機能なコンシーラーではなく、美容クリニックの高い施術でもなく、自信と笑顔なはず。もちろん自信をつけるために、美容クリニックに通う人は多い。けれども、自信をつけるためなら美容クリニックでなくともいい。自信は成功を積み重ねていくタイプのものと材料のいらないタイプがある。根拠なき自信は確かに何よりも強い。しかし、メンタルが不調になるとそれも怪しくなってくるので、やはり積んでいくタイプの自信もあった方がいいねと最近は考えるようになった。だから、そのために遊び程度だけれど毎日コツコツ外国語に触れているし、この雑記を毎週アップするために書いているし、毎日運動するし、皮膚科に通って、紫外線対策と丁寧なスキンケアをちまちま頑張っている。自信、大事。

顔や体型の衰えというのは、上に書いたとおり、よく見ていれば気がつく。しかし、思考はどうだろう。感情は?人付き合いはどうなっている?コミュニケーションは人とちゃんととれている?これは多分一番気づきにくい種類の衰えなんじゃないかと思う。身体の変化は見えやすいが、心の変化は見えにくい。だからこそ注意が必要なのだ。もちろん、思考の変遷を「衰え」と捉えない捉え方もあるし、年を重ねて思考が変化していくことを悪い方ばかりにとるのも怪しい気がしている。ただ、悪い面もきっとある。人は年を重ねていくと、新しいものを受け付けなくなる。例えば新しいテクノロジーに対しては否定的な感情を抱く人が多いらしい。そういった研究結果の論文をどこかで見た。それも踏まえてよくよく自分を点検してみると、揺動のあった青春時代と比較して、自分の考え方が大きく変わる機会がぐっと減っているし、何年も変わっていない感覚がある。同じことを考え続けることは悪くないと思うけれど、反復してそこを心の居場所として安堵していないか?環境を変えることの恐ろしさをこの頃経験しただろうか?環境を変えたいと最後に思ったのはいつなのか。またここで批判を挟んでおくが、環境を変えれば人は変わるのか、という問いに対しては変わる部分もあるし、変わらない部分もあるので、環境を変えたからといって生まれ変わるわけではないよと思っている。しかし、やっぱり環境を変えれば変わる部分もあるのが見逃せないところだろう。環境、変えてみたい。

毎日のルーティンをこなさないで、いつもと違うことをしてみたり、自室でなく、リビングで作業してみたり、外出先で読書をしてみたり、いつもと違う道を歩いてみたり、最近はそういったことを意識的にやっている。そしてもうすぐ作業所への通所が始まる。これは大分大きな変化があると思う。正直ちょっと嫌なんだけど、このちょっと嫌な感じは最初だけなので、目を瞑ることとする。コミュニケーションに関して、私は以前よりも自分の自閉的な感じがわずかに変化しているのを感じている(ここでいう自閉性は、自閉症でいわれるところの意味よりも広範で、自分の世界が外部の世界と通じていない、連関がない、弱いということであったり、自分の考え方を全く変えることのない柔軟性を欠いているということであったりする)。昔は、雑談するのが苦手だったし、人がなぜ天気の話をするのかも理解していなかった。説明は省くが最近は天気の話は必要だと思えるようになった、これは小さな変化。そして、初めての人と気さくに会話ができるようになった。一日はかかるけれど。どんな人が相手でも世間話くらいならできるようになった。これらは相手への興味を自然に持てるようになったことが大きい。今極端に「できるようになった」を強調したので、そんなわけないだろ、と周りにいる人は思うかもしれないし、私自身そんな大変身した自覚はないけれど、明らかに以前よりも人とのやりとりがしやすいのを感じている。それを「なんでだろう」と疑問に思っていたので、多分こうだからじゃない?という可能性を上に挙げてみた。だから上に書いていることは断定しているわけではない。

ともかく、こういったことを意識的にしていても、私の認知はこれからどんどん歪んでいくのだろうなという予感があるし、人間はそんなふうにできているのだと思っている。それをネガティブに捉えないのが大事で、残酷で時に愛くるしいその思考の偏りを、今世というフィールドでどう生かしていくかが老いを感じ始める世代の課題ではないか。

年を重ねることで起こる、ネガティブにも捉えられる種類の変化をポジティブに受容するとともに、日々自分を点検し、丁寧なスキンケアや運動で自信を保つこと、新しい物事に触れて思考を変えていくこと。そうして、自分の身体や心の変化に気づき、それを美徳として再構築する能力を養うことが幸福に老いるために必要だと私は感じている。

東京に行ってきたよ!

ANAのセールで東京行きの便とホテルを友達とノリで予約し、そこから数か月経ってついに旅行に行ってきた。2泊3日で2日目は友達と別行動、1日目と3日目は観光という予定で。1日目は三鷹の森ジブリ美術館に行ってきた。水族館も旅行初日に行こうか迷っていたけど、移動に思いの外時間がかかったので、計画に入れておかなくてよかったと思う。


友達は旅行などに行くとき、いつも始発の飛行機に乗るらしいので、当日は5時前に起床して日焼け止めだけ塗って地下鉄に乗った。電車の中で友達に会ってみると、メイクをバチバチにきめていたので、なんだか裏切られたような気分になった。メイクばっちりの友が可愛いので許す。彼女は4時に起きてしまったらしい。どうりで。私はマスクをつけてきた。紫外線もちょっとだけ防げるし安心。

久しぶりに空港に行き、検査を通り抜けた。5年ぶりくらいだったので、検査が前よりスピーディーになっているのに驚いた。戸惑ったけど友達は旅行の達人。いろいろと教えてくれてすごく助かった。何を考えるまでもなく搭乗の時間になり、乗り込んだ。久しぶりだと飛行機に乗るのもわくわくする。今回はLCCでなくANAなのでWi-Fiも使えるんだなーと感動した。乗ったらすぐ寝ようと思っていたけど、わくわくしていたし、友達とおしゃべりするのが楽しかったので寝る暇がなかった。

東京に到着して、8時半くらいだったので朝食を食べに行った。友達が食べたいと話していたお店で2000円の贅沢な朝食をいただいた。出汁うま!となり、正直ご飯が足りなくておかわりをしようか迷ったけど、我慢した。今思えば全然我慢しなくて良かったのに我慢してしまい後悔している。

そこからパウダールームを発見してメイクした。急いでしたのに想定より大分遅れていてなぜだーとなった。そして東京駅に向かい、友達が行きたいと話していたSuicaのグッズ販売や、いろいろとキャラクターグッズを見て回った。そうこうしているうちにお昼になったので、私が行きたいと話していたとんかつ丸七の銀座店に向かった。外は日が照り付けていて、私は焼肉のように焼かれるのを連想した。お店に辿り着いてみると行列!そして2時間待ちだと言われ、美術館の予約時間に間に合いそうになかったので断念……。とりあえず三鷹に向かった。

でもそのおかげで大好きなルノアールに再び訪れることができた。このコーヒーチェーン店は福岡にはなく、いつ行っても座れるしくつろげるので東京でちょっと休みたいときや人に会うときに利用している。時間も時間だったので、サンドイッチを注文して食べた。

普段は好まないからしマヨのバランスが絶品で、派手さはないけどじんわり幸せを嚙みしめることができた。それからジブリ美術館に向かったのだけど、記事が長くなるのでここで一旦止めておく。

クイニーアマン探し

年を重ねると日々を過ごす上で知っていることが蓄積されて、新鮮さを感じにくくなってしまう。手を伸ばさなければ掴めない情報がある。家庭料理なんてその最たるもので、家庭料理において知らないものはほとんどないかも!と思えてしまう。大体のメニューは既知で、あとはアレンジを加えていくだけなのではないかと。その延長でパン好きの私は、お店で買える知らないパンなんてもうないと思っていた。ところが知らないものがまだあった。

最近やりとりをしている人がパン屋に売っているクイニーアマンが好きという話をしてくれて、「クイニーアマンてなんだ?」となった。聞いたことは確かにあるけれど、その人曰く「美味しいけど口の中を必ず怪我する」ものらしい。ハードパン?なんだろうと思って調べてみるとサクサクしてそうな見た目で、見るからに美味しそうだった。デニッシュ生地なのかな、でも硬いのか。謎は深まる。

たまたまちょうどコンビニでも販売されていることが分かったのだけど、その人がパン屋にあるものの方が絶対に美味しいのでパン屋にあったら買って食べてみてと話していたので、コンビニはスルーした。

とりあえず近所にあるけどあまり行かないパン屋に行ってみた。近所にあり、その店のパンは評判で人気があるし、たしかにまずくはないけど、印象に残らない味なので個人的にはそこまで好みではなく、クイニーアマンがあるかどうかまでは分かっていなかったので確認のため入店。その日はコミュニケーションをとるのがちょっと辛い日だったので余裕がなく、挨拶をするのを忘れた。覗いてみたけど、やっぱりなくて、お店に入ってしまったので何も買わずに出るわけにもいかず、クロワッサンと他に数点買って帰った。帰りは笑顔でありがとうございましたと言えたのでよし。

あと近所にあるパン屋といえば天然酵母のパン屋さん。天然酵母のパン屋にクロワッサンなどのデニッシュ生地のパンが置いてあるイメージがなかったので、そこには行かなかった。

もう知ってるパン屋さんないなーと思い、ウーバーイーツで頼めないか検索したところ、都心部のお店のページにクイニーアマンを見つけたけれど、配達停止中。むう。他のお店は商品を選ぶ形ではなく、おすすめパンを何点か入れてくれる福袋形式だったので、運に任せるのもなあと思い却下。あとは遠くに行かないと何もないぞとなり、一旦諦めることにした。

そして別日に唐突にカラオケに行きたくなったので、カラオケまでてくてく歩いていると、パン屋を見つけた。存在を忘れていただけで、あることは知っていたのだけど、入ったことのないお店だった。リサーチしてみると有名店の姉妹店らしい。たしかにそのパン屋は客が絶えなくて人気だった。望みは薄いけど、美味しいパンはありそうだから入店。

そしてすぐにクイニーアマンを発見した。もちろん購入。ついでにクロワッサンと(私はクロワッサンマニアです)、サンドイッチを買った。このクロワッサンが絶品で、カラオケの帰りにもう一度寄って購入しようか迷うぐらい美味しかった。その日は我慢したけど、多分またクロワッサンを買いに行くと思う。

さて、クイニーアマンは飲食物持ち込みOKのカラオケで最初に食べることにした。見た感じデニッシュ生地なので、口を怪我することはないように思えた。一口食べてみると、バターの芳醇な香りが口の中に広がって激烈に美味しかった。と同時にこれはダイエット中に食べてはいけない代物だと思った。このお店のクイニーアマンは口の中を怪我するような要素はなく、外サクサク、中ふわもちといった感じだった。とにかく香りが良いし、味もデニッシュ本来の味を楽しめる感じで非常に良い。知ってはいけないものを知ってしまった。

クロワッサンより濃厚な感じがするので、重ためなデニッシュ生地のパンを食べたいときはクイニーアマンを購入した方がいいかもしれない。ただ、クロワッサン愛が私はすごいので、このお店で絶対にリピートするパン1点を挙げるならやっぱりクロワッサンを選ぶだろう。クイニーアマンも美味しいよ。

自分がまだ知らないあらゆる方面のことをまだまだ知ることができて嬉しくて、私はもっと外に出るべきだと思ったし、もっと勉強したいと思った。

バランスが難しい

人との関係を深めることと、自分のやりたいことをやることと、やるべきことをやることのバランスを上手くとれずにいる。これは今に始まったことではなくて、病気をしてから、というかよく考えたら幼い頃からずっとそうなんだけど、あるタイミングでは勉強ばかりして対人関係が上手くいかなかったし、あるタイミングではやりたいことばかりして、やるべきことを放棄していたし、最近は人間関係に時間を割きすぎてて、これもやはり危機感を覚える。時間は有限なので。そして特に心身共に若い状態はそろそろないかもしれない。健康はすでに害されているから見過ごすことにする。

さまざまな出来事が重なって書くことがこの1ヶ月くらいできなくなっていた。書くことを仕事にしている人は本当にすごい、毎日キラキラしているアナウンサーもすごい。世の中にはすごい人がたくさんいる。

そろそろ本腰入れてやるべきこととやりたいことをやらないとなと思っている。ダイエットに関しては目標達成しそうだから今年の目標は達成できそうなんだけどね。月に1個アクセサリーを作るという目標はどうやら5月で未達成になりそう。来月2個作るつもりでいる。

人との別れは悲しいし、取り返しのつかないものだけれど、別れたことで膨大な時間を手に入れることができたし、なぜなのかよくわからないけど一度落ち込んだ後はスッキリするので、意外と人に執着してないんだろうな自分と思った。私には執着心というものがあまりないのかもしれない。好きになった人みんなが幸せになってほしいと願う気持ちは変わらないし、そこに関しては執着もしているけれど、絶対的に関係したいかといわれると疑問で、そういう意味で人に執着していない。

やるべきことをやって、やりたいことをやって、素敵な人たちに出会って、そうやって一つの人生は終わっていくんだなーと他人事のように思う。

愛なんてない

好きな人たちには幸福に生きてほしい。

好きな貴方には本当に幸せに生きてほしい。

もちろん今が幸福なら、それを快く思うし、

そうでないのなら、良い方向へ向かっていけることを願っている。

けれど、

そこには愛なんてない。

私には愛なんてない。

肌を重ねるとき、体温(ぬくもり)を感じてほっとするけれど、

そこには愛なんてない。きっとない。

貴方と貴方や私の話をするとき、私は楽しくて仕方がなくて、

もっと話したいと願う。

貴方も似たような気持ちなら、それは本当に嬉しいことだ。

けれど、

そこには愛なんてない。

愛なんてないのだ。

貴方の在り方を認め、私がそれを受容するとき、

そして貴方も私を認め、受容してくれるとき、

本当に奇跡のように思えて、尊いことで、

私はその中に見出したくなるけれど、

そこには愛なんてない。

花は美しく散り、花の絨毯を私は歩く。

来年また咲いてくれるといいなと願うその心には、

愛なんてない。きっと愛なんてないのだ。

我が子を慈しむとき、この子が幸せに生きてくれるといい、

なんて無責任なことを願うけれど、

そこには愛なんてない。

私には愛なんてない。

愛がなければ何がある。

尽きることのない欲望がある。

生きるための欲望が、

貴方を、花を、我が子をただ祈っていたい欲望が。

だから、

そこには愛なんてない。

愛なんてない。

愛なんてない。

愛なんてない。

愛なんてない……

予感がする。手を伸ばす前から、それを失くす予感が

予感がする。手を伸ばす前から、それを失くす予感が。

いつも同じことを繰り返しているから、容易に想像がついてしまう。

ね、君は。ああ、私は。

 

他者を知りたい欲望は留まることを知らない。

その人の歩きぶり、呼吸の仕方、姿勢、造形、表情、所作、話し声、歌った時の声、電話に出る時は声が変わるのか否か、レジの人に対してどんな対応をするのか、他の人とはどんなコミュニケーションの取り方をするのか、ねえ、全てを知りたい。

 

私のこの癖は、中学時代からあった。
かなり気持ちの悪いことだが、先生の個人情報を集めたメモ帳を常に持ち歩いていた。好きな食べ物、嫌いな食べ物とその理由、家族構成、生年月日、血液型、趣味。
中には携帯の番号やメールアドレスも入手していた。
今思えば、ストーカーに違いないと思う。
子どもだから、先生がそれを嫌がらなかったから許されていた。

 

通常は嫌がられてしまうことを、私は最近になるまで分からずにいた。
なぜなら私は人に全てを話してしまうし、すべてを聞いてほしいと思っているから。

 

でも、誤解をしないでほしいのは、私はその人に関する情報を、表面的な何かを知りたいのでなく、その人の神秘に迫りたいだけだということ。

 

それは音楽の神秘も同様で、音楽の良さは、理論を学んでも、言葉を尽くして考えてみても分からない。いくら勉強しても、制作しても分かるということがない。

人も同じだと思う。いくら心理学を勉強しても、哲学を勉強しても、小説を読んでも、医学を勉強しても、分かるのは本当に僅かで(学問においてはその僅かが大事なのだけれど)、その人個人の神秘に迫ることは難しい。

過程としては間違っていないのだと思う。外側から理解を深める。まあ、遠い存在の人ならば、そうするしかない。

音楽や人の神秘に迫るための最も有効な手は、その音楽を自分で鳴らしてみること、その人と同じ時間を同じ空間で共に過ごすことだと思う。

これには考えられる理由がいくつか浮かぶけれど、そういった言語的な解釈は後付けに過ぎなくて、言葉や知識を放り出してただその場にいる。それだけでいい。というか、その方が良い。いや、それがベストとさえ思う。

なのにそれが叶わないと、私はただ距離を詰めて情報を収集することに集中してしまう。その収斂されたものが役に立たないことを知りつつも、何かしなければと焦燥感に苛まれる。私は苦しかった。なぜならそうしなければ私は人を愛せないから。

 

また距離を縮めたいと思ってしまった。
そして失う予感を抱いて、失う覚悟をもって、手を伸ばして、失って、孤独になっていく。最後には何も残らない。

初めてのヌンヌン的な

アフタヌーンティーとやらが日本で流行り出したのはいつ頃なんだろうか。イギリスの文化だと思うけれど、詳しくは知らない。紅茶などを飲みながらスコーンやケーキ、サンドイッチなどの軽食を楽しむ習慣のこと、だと思っている。日本だとちょっと良いカフェやホテルで提供される豪華なデザートを、美味しい紅茶などと一緒にいただくプチご褒美イベントだよね。

流行り出した当初は、あんまり乗り気ではなかったけれど、一度体験してみたいと徐々に思っていた。けれども、人前で優雅に時を過ごすのは会食恐怖的な意識が若干ある私には厳しい。というわけでホテルのお部屋でいただけるアフタヌーンティー的なのないかな!と探したところ、めちゃくちゃ手頃な値段で泊まれる上にデザートがついてくるホテルを見つけたので行ってきた。

 

Youtubeなどで予習をばっちりしてワクワクで向かった。場所はよく通る道の側だった。チェックインの機械がおそらく故障中でチェックインにやや時間がかかったものの、スタッフの方の丁寧な対応に癒され、無事チェックイン!お部屋はあえて載せない。写真を撮るのが面倒だったのは内緒。デザートは15時チェックインでおやつ時間に丁度良かったので、すぐに用意をしていただいた。用意をしてくださった外国人のお姉さまの接客がとても素敵で癒された。笑顔が最高です。紅茶選びに迷いまくって時間かかったのににこにこで待ってくださってありがとう。

 

紅茶はティーバッグのもので数種類の中から選ぶことができ(コーヒーもあったよ)、それとは別にウェルカムドリンクとしてストロベリーの飲み物がついてきた。甘かったけど美味しかったな。欲を言えば種類は選べなくていいから茶葉の紅茶がよかったな。

 

抹茶が苦手でチャレンジしてみようと思ってたけど、やっぱり無理!となったので恋人に全部食べてもらった。笑 一番上が苺を使ったスイーツで、一番下は甘くないセイボリー的なものだった。苺のスイーツはどれも美味しくて、私は白っぽいお菓子が気に入った。セイボリーで気になったのはガスパチョ。酸味と塩気のパンチが効いていて甘そうな見た目とは違ってかなり刺激的で意外だった。あとカプレーゼは苺とチーズとバジルの組み合わせってどうなんだろうと思っていたけど意外に美味しかった。高級なアフヌンのデザートと比較すると見劣りしてしまうけれど、これはただでさえ安価な宿泊費の中に入っているサービス。と考えるとめちゃくちゃすごい。ほんとにすごかった。お部屋も広くて綺麗だし、ベッドもキングサイズだったし、お風呂も広くて最高だった。あとナイトウェアがあるのもポイント高い。だから記念日とまでいかないにしても、プチご褒美みたいな感じで利用するのが正解だと思う。普段使いしても問題ない価格帯だし。あ、でもたまたま安いだけだったのかな。

 

周囲の飲食店はそこそこ高めのお店が多かった印象。私たちはうどん居酒屋さんに行きました。ちょっと高めだったけどうどんが美味しかったのでヨシ。

農作業ばかりの日々で気が滅入っていたけど、良い感じにリフレッシュできてよかった。書ききれないほどの彼の気遣いによってこのリフレッシュは成り立っています。いつもありがとうございます。

 

初めてのヌン活だった(厳密にはこれはアフタヌーンティーではないらしい。ホテルの公式にはアフタヌーンティーの文字はどこにもない)けれど、個室で周囲を全く気にしなくて良かったので優雅さとは程遠い感じでスイーツをパクパク食べてしまった。まあ、いっか。

また今度ヌン活をするときは、おうちでやりたいなーと考えている。何種類も作るのは大変だしアホみたいなんだけど、そういうアホみたいなことをやるのが豊かさなので。サンドイッチとスコーンは絶対に用意する。紅茶も良いものを用意しよう。




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