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何のために未来予測をするか

いろいろと身辺でいろんなイベントがあってずっと落ち着かない状態が続き、ブログエントリーが書けなくなっていた。

私はX上に19000人を越えるフォロワーがいて、X上で何かを書くといろんな反響をいただく。それがたとえ自分にとっては愉快なものでなかったり、同意できない内容であったとしても、私はそこからいろんなことを学ぶことができる。そのことはとてもありがたいと思っている。

私の書く内容がときに激烈に否定的な反応を引き起こすのは、誰かが信じたいことを正面から否定しているからだと思う。私は、未来について考えることが好きで、しかもそれをいろんな分野を結び付けて体系的に思考するので、特定の事柄で確信を抱いたときには、強く非妥協的に主張する。それが他の誰かにとって大切な何かと抵触するときに、彼らは自分の信念を守るために激しく私の主張を攻撃する(時には私の人格に対する攻撃になることもある)。

だから、今日は私がなぜそんなに未来について断定的に主張したいのかということについて考えてみたい。自分にとって痛いことも含めて、なるべくカッコつけずにあるがままに語ってみたい。

私が、未来を予測せずにはいられないのは、それこそが私の適応形式だからである。たいていの人たちは、自分の所属する組織の中で、周囲の顔色を窺い、良い関係を維持しつつ、組織の目標を達成することを心掛けて生きている。ところが、私は生まれつき考え方が一匹狼であって、周囲の人間を気持ちを思いはかることによって生き残るという考え方が希薄である。その代わり、社会全体の行き先をあらかじめ予測し、自分の行動を調整することで生き残ることを試みる。だから、私が未来を予測するとき、普通の人たちが世間体を気にして周囲との調和をめざしているのと同じくらいの情熱を注がざるを得ないのである。

そのうえで、私は「自分が未来を正しく予測できる人間である」と自分や他の人たちに思ってもらいたいという欲望があるようだ。これは、単なるエゴであろうと思う。

確かに私は常に未来について考え続けているし、そういうことにまるで関心のない人たちより、未来を予測することに長けているとは思う。しかし、未来予測において「一番」である必要はないはずだ。そんなものを競う必要はない。原理的に未来を完全に予測することは不可能だし、おそらくその必要もない。

未来予測はそれ自体を目的にするのは不毛だ。それは何らかの別の価値のために行われるべきだ。そしてそれをブログ等で世の中に向けて発表するときには、それ自体に何らかの意味があるべきだ。未来を予測するのは、たとえば職業を選択したり、投資判断を行うときにはとても重要だ。

「未来を正しく予測できる自分はエライ」とかいうエゴではなく、今後は「何のために未来予測をするか」ということを意識しながら、未来予測を発表していくことにしたい。

私は日本の未来に対して厳しい見方をしている。私にはそのように思えるのだがそれが正しいかどうかは本当のところわからない。「何が良い状態か」という定義にもよる部分があるとは思う。私は政治家ではないから、日本の未来について、直接影響を及ぼすことはできない。大衆運動を組織して日本社会を変えようとも思わない(それは不可能ではないかもしれないが、とても骨が折れる)。

私の比較的似た価値観を持つ人たちに向けて、これからやってくる(と私が信じる)厳しい時代を生き残る方法を共に考えていければよいなと思っている。社会を変えることはできなくても、私たち一人一人が行動を変え、自分たちの人生の軌道を変えることならできるからだ。




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