自分語りをする。文章を書く以上、人のためになるものを書こうとは思ったが、ここは私の個人ブログだから好きなことを書いても良いだろう。
今日は人生において、ある時点にやっていることの本当の意味は分からないという話をしよう。
私は大学の経済学部を卒業した後、ある都市銀行に入った。当時はバブルの最末期で、まだ採用はかなり緩かった。リクルーターと何度かお茶をしているうちに自然に採用が決まってしまった。年代的に私は「半沢直樹」の数年後の年代だと思うのだが、私の場合は入るのはあんなに難しくはなかった。
しかし、いい加減な気持ちで決めたせいで、私は内定式のころにはもう辞めたくなっていた。周りの人たちの説得もあって、私は入行したけれども、銀行の雰囲気にもなじめず、仕事もまるで好きになれなかった。そういうわけで私は半年でやめてしまった。多くの人たちに引き留められた。彼らは私は半ば驚き、半ば呆れたような顔で私を見ていた。一流企業をあっと言う間にやめるアホなやつだと。
その後、フリーターを経て、ソフトウェアエンジニアになる。1996年のことだ。それから約30年間、なんだかんだとソフトウェアエンジニアとして飯を食べてきた。
これは結果オーライな選択だった。私は運が良かった。ソフトウェアエンジニアの黄金時代にたまたまその仕事をできたからだ。銀行はその後、合併に告ぐ合併。金融の自由化。長期化する低金利時代。銀行の仕事は以前ほど割の良いものでも社会的に敬意を受けるものでもなくなっていった。私はつくづく銀行員なんて続けないで良かったと思っている。
1999年にはカナダに渡った。当時はソフトウェアエンジニアがカナダで不足していて、私は熟練労働者の枠で、永住権を取得した。そして2年半ほど現地のソフトウェア企業で働いていた。カナダは多文化主義がうまく行っていて、数えきれないほど多くの国からやってきた人たちが移民として暮らしていた。私はそういう自由で開放的な空気が好きで、カナダ生活を愛していた。しかし「カナダ人」になろうと焦りすぎて精神的につらくなり、また寒すぎる気候に身体がどうしても馴染めず、結局、日本に戻ってきてしまった。
その後、20年経って、カナダの不動産価格は暴騰。貧富の格差が広がって、社会の雰囲気が悪くなった。カナダの南では、トランプ政権が誕生し、英語圏全体に大きな政治的亀裂が入ることに。私は、カナダを去った後、そのことをずっと後悔し続けていたけれども、実は、アジアに戻ってきたことはそんなに悪くない選択だったのではないかと今は思っている。
ソフトウエアエンジニアの仕事は結局、今年の3月まで続けた。辞めた理由はいくつかあるが、一つはAIの登場があるかもしれない。AIに適切な指示さえ与えれば、かなりいい感じにソフトウェアを書いてくれるようになって、私はなんだかこの仕事を真面目くさってやるのがバカバカしくなってしまった。真剣勝負のつもりが実は茶番とわかった時のような興ざめ感。
実際、米国でソフトウェアエンジニアが大量解雇されたり、採用が大幅に抑制されたりしているという。特に、経験の浅い人たちが大きな影響を受けているという。
思えば、私はずっと業務ソフトウェアの開発に携わってきて、その目的は省力化だった。日本企業はなかなか正社員を解雇しないから、私の作ったソフトウェアのおかげで首を切られた人はいないかもしれないが、ひょっとしたら派遣社員や外注の人たちが影響を受けたかもしれない。少なくとも私の同業の人たちが作ったいずれかのソフトウェアが誰かの首を実質的に切ってきたのは間違いない。
私は、AIの研究者でも技術者でもないが、大きな括りでは、AIもITの一部と言えるし、実際、AIを実際に使える形でシステムに組み込むのは私の仕事の一部だった。そのAIがいま米国でソフトウェアエンジニア等のホワイトカラーの首を切り始めている。まさに因果応報。私は、他者の首を切ってきたが、ついに自分にお鉢が回ってきたのだ。
自分が首を切られる立場になって、初めてITによって仕事を失ってきた人たちの気持ちが少しわかった気がする。いままで誇りを持ってやってきた仕事を失う悲しみ。理不尽さに対する怒り。ITが憎かったかもしれないな。申し訳ない。私はそれが人類の進歩であり、正しいことだと思って、何の疑いもなくやってきた。でもそれが誰かを傷つけてきたのかもしれない。
それでも、技術の進歩は結局止められないだろう。私がやらなくても結局誰かがやっただろう。そういう意味ではたぶん仕方のないことだったのだろう。
人々はその時その時を生き残るために必死である。後から振り返るとその時にやっていたことが実は別の意味を持っていたことに気づくことがある。AI革命は今後も不断に続いていき、多くの人たちから仕事を引きはがし、彼らの人生を翻弄していくだろう。失業は一見不幸に見えるが、「仕事からの解放」と考えれば実はかつてない幸福への入り口かもしれない。人間万事塞翁が馬。人生ではこの先、何が起こるかわからないが、だからこそ面白いと私は思う。