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私が日本の未来を考える理由

今日は全くのスランプで書くことを何も思いつかなかった。しかし1日1エントリーのノルマのためにいま書いている。別にカネをもらっているわけでもないブログ書きになぜ私はここまでこだわっているのか。いま仕事もせず何の時間的拘束もないために、自分自身の生活の骨格を維持するために、1日1エントリー書くという習慣が必要だからだ。書くことが私を生かしている。だから書くのだ。

正確に言えば、何も思いつかなかったというより、考えがまとまらなかったというに近い。私は例によって起きている間はずっと(そして寝ていいる時間の大部分も)常に何かを考えている。考えていることを何とか形にして外に吐き出す必要があるのだ。

私は、基本的に日本についてずっと語っている。日本が好きかと言われると複雑な気持ちだ。少なくとも一部の人たちのように「日本大好き!」と叫ぶことはできない。だが同時に日本で生まれ育ち、日本語を母語にし、日本人の家族や友人を多く持っている以上、何の感情も持たないというわけにもいかない。おそらく、私は生まれつきこの国の文化にはあまり合わない性格なのだろうが、それでも、日本に滅んでほしいとは思わない。私は、日本とは距離を取るだろうが(というか実際にいまも日本の外にいるが)日本は日本で栄えていてほしいとは思う。「亭主元気で留守がいい」というのに近いのかもしれない。

私はネット上でいろいろ日本に対して批判的なことを言うので、当然、それが気に入らない日本人たちもいる。彼らは私に日本にかまうなと言う。確かに彼らの言うことも一理ある。日本が好きになれないなら、どこかの国に行ってその国の人間になってしまえば、もう日本について考える必要はなくなるだろう。やがて日本のことも忘れてしまうかもしれない。

理論上はそうなのだが、実際にはそういうことはできないのだ。それは人間の頭脳の構造上仕方ないことだ。言語を母語のように流暢に話すには12歳くらいまでに習得しなければならないと言われる。これを言語習得の臨界期という。実は、文化習得にも同じような臨界期があると私は考えている(これは私の経験に基づくものなので、学術的な根拠があるかはわからない)。私の考えでは15歳くらいが文化習得の臨界期である。中学生までの時期をどの文化(国)で過ごすのかが決定的といえる。

私は初めて外国に行ったり外国人と日常的に接触し始めたのは大学時代以降だったから、文化的には完全に日本人である。そしてこれは一生変わらない。私はどの国に行ってその国の言語だけを使って生活し続けていても、一生日本文化の影響は逃れられないのである。

私は、30代前半をカナダで過ごして、「カナダ人」になろうとしたことがあった。しかし、カナダ生まれのカナダ人の生活習慣にはどうしても完全になじめなかった(いま思えば、カナダは移民国家だから、文化的に完全に同化する必要はなかったのだが。それに気が付いたのはカナダを去ったずっと後のことだった)。

いまはタイにいるけれども、そういう経験をいろいろしたので、もちろん「タイ人」になるつもりは全くない(というかなるのは無理だし、タイ人もそれを望んではいないだろう)。私はタイという土地に居させてもらえることに感謝しつつ、なるべくまっとうな外国人のゲストであろうとしている。

日本以外の世界についてあれこれ考えるのはもともと好きだった。だが、いま世界秩序は大きく変質しつつあるので、まともに対峙するのは精神衛生上良くないと思う。なにせ、米国が国内の貧富格差問題を解決できずに、政治的に発狂してしまい、自分たちが第二次世界大戦後、育ててきた国際体制を自らぶち壊してしまった。欧州人たちは米国をリーダーと仰いで安心していたので、いま右往左往している。中国やインドという巨大プレーヤーが自らの意志で動き始めている。いまは極めて流動的で、5年先の国際秩序もよくわからないような非常に不安定な状態だ。学者たちも意見が分かれて侃々諤々議論を続けているくらいなのだから、あまり遠い未来まであれこれ考えずに、当面、米中印の三つ巴のにらみ合いが続く、くらいにざっくり考えておいて、あとは出たところ勝負で対応していくしかないだろう。

私としては何をすべきか。私は日本人として日本という国をずっと観察してきた。一方で私は世界全体にも興味を持ち続け、いろんな国のことを真剣に考えたし、世界における日本の立ち位置についてもいろいろ考えた。だからそれをまとめて発表していくべきだろうと思った。

私は、いま日本人の多くが過去の成功体験から逃れられず、変化した現実を直視できていないと考えている。これが続くと日本は「失われた数十年」を更新していくことになる。私は、この日本人による「ぬるま湯」の慢心に警鐘を鳴らしたい。私は非力だから、日本の針路を変えることはできないだろう。だが、この現実に気づき、個人として来るべき危機に備える人たちを少しだけ増やすことができるかもしれない。私の文章が、これからやってくるものにいち早く気づいて準備をする助けになるならば幸いである。




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