「AI時代の新・ベーシックインカム論」。面白い本だった。
著者の井上智洋氏は、駒澤大学経済学部准教授。慶応大学環境情報学部を卒業後、IT企業にしばらく勤めて、その後、早稲田大学大学院経済学研究科で博士号を取得。なぜか「新しい Java の教科書」なんていう本も書いているようなので、IT企業自体はおそらくソフトウェアエンジニアをやっていたのだろう。1975年生まれだから私の5歳年下。就職活動に意欲を持てず、バイト先の社長に泣きついて、正社員にしてもらったらしい。「いい大学を出ていい会社に入って……」という世間一般の生き方に頓着しないところは私によく似ていて、つい親近感を抱いてしまった。
この本の内容もかなり型破りである。おそらく主流の学説からはだいぶ外れているだろう。だからこれは学術書というより著者の「ベーシックインカム(BI)やAIを通じて見た経済学風エッセイ」という感じの本である。しかし、そういう本が嫌いかと言うとむしろ私は好きだ。主流の学説というのはとかくテクニカルで無味乾燥なものである。この本には著者の個人的な世界観がふんだんに盛り込まれていて、興味深い。
この本は、まずBIとは何か、生活保護と何が違うのか、どういう歴史があるのか、というところから始まる。BIとは、すべての人々に対して無条件に最低限の生活を送るのに必要なカネを一律に給付する制度である。だから金額が少なすぎて最低限の生活が遅れない場合はBIとは呼ばないらしい。遅くとも18世紀ころにはBIの源流となるアイディアがあったようだ。
私がいちばん気になるのはBIの財源である。著者は、「文化的で最低限度の生活を維持できて、かつ労働意欲も失わない」金額として一人当たり月7万円程度の給付を想定している。これを日本人全員に配るとすると、年間100兆円の財源が必要になる。
著者が引用する試算例では、BI導入によって、老齢年金・こども手当・雇用保険・生活保護費・福祉費や事実上所得補償になっている公共事業費・農林水産費の一部など、合計36兆円が削減できるそうだ。
これをBI支給額の100兆円から引いて残り64兆円。これをどうやって調達するか。
まず所得税の税率をすべての所得層で25%上げるという方法がある。だが、これだと最高税率が70%にもなってしまい、実現が困難かもしれない。そこで相続税を引き上げるのも一案だと言う。相続税率を一律30%引き上げた場合、所得税の税率は15%上げるだけで済むそうだ。正直、私は、これでも政治的に難しすぎてそんな増税案はほぼ通らないのではないかと感じた。
そこで著者は、国債発行に頼ればよいと説く。国債を日銀が購入する財政ファイナンスで賄えばよいと。どうやらこの著者は、日銀が持っている国債は国の借金のうちには入らないと主張する統合政府論者らしい。これだけで「はい解散!」という感じではあるのだが、もうちょっとだけ付き合って考えてみる。仮に将来AIとロボットのおかげで無限の供給力を持った場合どうなるのか一応考えておきたいからだ。
例によって Gemini に尋ねてみた。「エネルギーが無限にあり、財サービスはAIとロボットによって無限に生産できる場合、財政ファイナンスでBIを行ったら、ハイパーインフレになるか?」と。Gemini の答えは「その場合は通貨供給量の増加によって需要が拡大しても、それを上回る供給があるので、インフレにはならない」という答えだった。私はちょっと、「おお」と思った。
しかし現実にはエネルギー供給は有限だし、いくらAIやロボットをフル稼働しても生産できるものも有限だ。こういう場合は、やはり財政ファイナンスは貨幣価値を毀損し最終的にハイパーインフレになってしまうとのこと。やはり「タダのランチは存在しない」ということだろう。
AIによって人間の労働が代替される一方で生産力が大幅に強化される場合、よく提案されるのは、AIやロボットによる生産に対して課されるAI税・ロボット税であるが、著者はあまり乗り気ではないらしい。AI税を課そうとすると「AIは使っていません」とか嘘をついたり、本来はAIを使うべきところを使わないような不効率が生まれるからだ。
ということで残念ながらこの本を読んでも、現実的なベーシックインカムへの道筋を見つけることができなかった。ただ本自体にはBIにまつわるいろんなテーマが議論されていて読んでいて楽しかった。
たとえば最終章でBIの政治経済思想について論じている。日本は儒教の影響で勤労道徳が強いのがBI導入の障害になるかもしれないという主張は興味深い。確かに「働く人間が偉いのだ」という価値観は考え直したほうがいいかもしれない。AIが本格普及してしまったら、仕事自体がなくなってしまうのかもしれないのだから。著者の言う通り「働かざる者食うべからず」から「働かざる者飢えるべからず」へ価値観を転換していく必要はあるだろう。