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何のために表現するのか

私は毎日ブログを書いているのだが、改めて何のために書いているのか分からなくなってしまった。私はいったい文章を通じて何を伝えたいのか。読者が読んだ結果どうなってほしいのか。

こんなことを書いているのは、「文章を上手に書く方法」というテーマの動画をYouTubeで見ていたからだ。対象視聴者は商業的にブログを書いている人たち(アフィリエイターなど)だったが、いろいろ学ぶことが多かった。私はこの2カ月ほどほぼ毎日ブログを書いているが、自分の考えの足らなさに思い至って気持ちが落ち込んだ。

私の文章はだらだら自分の気持ちを表現しているだけで、人々の問題解決に至る情報を提供していない気がする。あえて言えば、私自身を主人公にした史実に基づく私小説のようなものなのかもしれない。確かに小説だと考えれば、自分の気持ちの変化を描いているからそうと言えなくもないかもしれない。

しかし、わざわざ文章を書くのなら、何らかの情報を読者に伝えて、読者のアクションにつなげたくはないのか。メッセージというのはそもそもそういうものではないのか。

人々の関心を惹きつける記事というのものは、彼らの問題を解決するものだ。抱えている問題を解決したくて記事を読むのだ。これ自体はすごくまっとうなことだと思う。

一言でいえば、人に見られる記事を書こうとしたら、作者は嫌でも「教師」にならなければならないということだ。何かを知っていてそれを教えることができる存在。それが教師である。

しかし、私は昔から教師役が苦手だった。大学時代も塾講師や家庭教師という教師系の仕事の方が時給は良かったけれども、どうも性に合わずに、私は肉体労働系のアルバイトばかりしてきた。その後も私はフリーターやらフリーランスやらが多く、人を指導する上司や教師のような立場に立ったことがない。私はむしろ自分が学ぶ、学生のような立場の方が好きだった。

とはいえ、私ももういい歳である。いろんな経験や知識があることはある。そういうものを整理して若い人たちに伝えていくべきなのかもしれない。自分が調べたことを伝えていく、ジャーナリストのようなスタイルを取れば、教師っぽさは薄れるかな。謙虚でありたいのか、自信がないのか、それとも読者へのコミットメントが足りないのか、理由はよくわからないが、あまり偉そうな教師のような態度は取りたくないと思っている。

私の文章を読む人が豊かで幸せな人生を送っていけることを願っている。そうだとしたら何を伝えるべきだろうか?より高い報酬がもらえる仕事に就く方法?投資で成功する方法?より充実した人生を送るための心構え?

私の文章を読んでいる人たちのほとんどはいま日本列島に住んでいるだろう。私は日本の未来に対してよく悲観的な見解を述べている。これはいま日本の多くの人たちの危機感が足りないために、改革が可能になるような熱量を高めたいからだ。しかし、「日本はこうすべき」という処方箋については私はほとんど提示できていない。本来ならば、危機感を煽るだけでなく、解決策も同時に提示すべきなのかもしれない。しかし、これは構造的な問題であり、簡単な解決策はないだろう。分からないことを正直に分からないというのは悪くはない。

日本全体に対して「こうすれば良くなる」という即席の解決策を思いつくのは難しい。やはり個人レベルで生活防衛するしかない気がする。その方法について私の知識や経験を伝えていくべきなのだろう。

こうやって自分の考えていることを赤裸々に綴ることも、これはこれで案外悪くはないのかも。多くの人たちはこういう舞台裏の思考を隠そうとするからだ。私は、まだまだ迷いの多い中年男なのである。迷いながらも新しい道を模索しようとしている姿をそのまま晒せば、ひょっとしてどこかで同じようなことを考えている人に「私のような人間もいるよ」と伝えることができるのかもしれない。




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