私は実はいまちょっとスランプである。自分の文章に自信が持てなくなっている。「創造とは基準を下げること」と例のマントラを唱えても、「それにしても、役に立たないことばかり書きすぎではないか。たまには人の役に立つ文章を書いてみろ」と心の中の「自己検閲警察」が激しくがなり立てる。
しかし私は毎日ブログを書くと自分自身と約束したのだ。毎日書くとなるとクオリティはどうしてもまちまちになってしまう。どこかに毎日安定した品質で文章を量産できるライターもいるのだろう。残念ながら私はそうではないかもしれない。しかし「だからなんなのだ、文句あるか」という強気で今日も何とか文章を書いていくことにする。
最近、自分語りばかりしてきたので、少しは「自分」から離れたことを書こうと思う(といいつつ、結局、自分の周りをぐるぐる回るだけかもしれないが)。
私は X で毎日、日本を悲観するようなことばかりを書いている。
日本の誇る自動車産業が危機にある。今日は細かい統計の数字はあげないが、自動車産業は、日本の輸出の大きな部分と、国内に数百万人の雇用を生み出している。
次世代の自動車はEVであることは明白で、中国が圧倒的な存在感を誇っている。しかし、どういうわけか日本メーカーの多くはEVに対して非常に消極的である。その結果、新車販売に占めるEVの比率は、中国市場では50%を超える一方で、日本ではわずか2%程度にすぎない。
これが意味するのは、中国メーカーは中国市場で思う存分、実際にEVを作り、販売し、その評価を経て、技術を改善する機会があるのに対して、日本メーカーはそうではないという点である。ただでさえ中国勢はこの数年間、大量のEVの生産・販売という経験を積んできたのに、それを持たない日本勢はますます差をつけられるということである。
この絶望的な状況に対して、日本人の多くが驚くほど鈍感である。どうやら、従来の内燃機関車とEVにはたいして差がないので、日本勢が本気を出せばすぐに追いつけると信じているようだ。実際には、内燃機関車とEVは重要な部分で大きく異なり、売れるEVを作るためにはEVを実際に作って売るという経験が必須だ。
例えて言えば、ある奏者が、音楽的才能に恵まれて、ピアノで世界一の演奏技術を持っていたとしても、バイオリンでもすぐに世界一になれるわけではないというのと同じだ。アマチュアレベルの上手さにはすぐに到達できるかもしれない。しかし、その道のプロが激しく競い合っている場に立とうとすれば、専門の長い訓練を受けなければならないのは当然のことだ。
おまけに日本勢はソフトウェア開発が苦手である。EVと自動運転などを備えたSDVは極めて相性が良い。したがって、売れるEVを作るためにはソフトウェア開発の能力が必須なのだが、日本勢は致命的にこの能力が不足している。慎重すぎる企業文化と「早く失敗して早く直す」がスローガンのソフトウェア開発は非常に相性が悪く、改善する見込みはない。
2030年代に日本の自動車産業は壊滅的な状態になると私は予想している。いくつかの会社は外国企業に買収され、倒産して名前が消えるところすら出てくるかもしれない。生き残った企業でさえ、売上はいまの半分、三分の一になったとしても私は驚かない。
日本経済は深刻な打撃を受ける。不都合なことにほぼ同時期に、日本は高齢化の進行により社会保障負担がますます重くなり、財政負担が大きな問題になる。いまは財政赤字を国債発行で賄っている。ところが自動車産業が衰退すればそこからの税収が確実に減る一方で、職を失った人たちへの援助等で歳出はむしろ増えるだろう。増税は極めて困難であろうから、財政赤字が拡大し、国債発行がますます加速するだろう。どこかで市場が耐えられなくなり、金利暴騰(国債価格暴落)、日本円暴落などと市場の混乱が発生するかもしれない。日本から資金が流出するキャピタルフライトを止めるため、資本規制が導入される可能性もある。
向こう10年の日本には基本的に悪いことしか起きないだろう。私はこの期間に関しては極めて悲観的である。
私は別に、日本が嫌いで言っているわけではない。私が本当に危機感を抱くのは、日本人の多くがこの状況に危機感を抱いていない点である。気候変動という人類的課題解決という文脈の下、EV・蓄電池・再エネ・IT・AI等の技術が互いに密接に関連し合いながら、次世代の技術体系を作っていくのだということに気づいていない人が多すぎる。驚くことに日本政府すらこのことをはっきり理解していないように見える。いままでのやり方でこれからもずっとやっていけると信じているようだ。だから、日本経済はこれからも漂流していくだろう。失われた30年は、40年になり50年になっていくだろう。
日本に希望があるとしたら、一度、どん底まで落ちることであろうと思っている。そして「もういままでのやり方は通用しないのだ」と誰もが腹の底で納得するまでは、日本は変わらないだろう。私が、あえて日本の悲惨な未来について言及し続けているのは、早く多くの人たちにいまの現実に気づいてほしいからだ。それは「いままでのやり方を小手先変えた」程度のやり方では解決できない。いまの日本語圏の言論にはそういう安易で偽りの希望が多すぎる。だから私は希望は述べない。いまの日本には希望はない。しかし、逆説的なことに、すべての人たちがいちど正しく絶望したら、そこから新たな希望が始まるのだ。
【付記】 最初書いたとき、最後の段落にあいまいさが残っていることが気になっていた。よくよく考えてみると重要なのは「もういままでのやり方は通用しないのだ」という現実に気づくことであって、それができるならば、どん底に落ちるまで待つ必要はない。ただ今の日本はあまりに現実逃避的なので、結局、どん底に落ちるしかないのか、という悲観的な気持ちに私がなっているだけだ。だから私はどん底に落ちる前に人々が気づくように努力すべきなのかもしれない。