ある経済小説の冒頭部分を読んだ。ある大企業の社長が、ヤクザに関係する会社の事務所に殴り込みに行く場面から始まる。確かに良く書けている。その場面を通じて、社長の大胆さ、肝っ玉の大きさが良く描写されている。そしてその後の物語に重要な役割を果たすであろう人物群の自然な紹介になっている。
しかし現実的に考えて、大企業の社長がそんなことをやるはずがない。明らかに作り話だ。
この小説がこの先、どういう展開見せるのかわからないが、おそらくこの社長が大活躍をして、この企業をさらに成長させていくのだろう。だが、私の長い社会人経験から言って、現実には一人の英雄がすべてを決めることなどほとんどない。現実の組織は遥かに複雑で玉虫色なのだ。無数の勢力がひしめき合って、果てしない相互作用の結果として、何らかの現実の結果がもたらされる。本当にわかりにくく、退屈な過程なのだ。
それでも物語には力があるように思える。なぜだろうか。私たちは人間社会を物語という形でしか理解していないからかもしれない。
……とここまで書いたところで完全に詰まってしまった。物語とは何なのだろうという疑問を自分で解決できなかったからである。そこで Google Gemini に「物語の本質は何か」と尋ねてみたところ次のような回答を得た。
物語の本質:変化と意味の発見
物語とは、単なる出来事の羅列ではなく、登場人物が困難に直面し、それを乗り越える、あるいは変化する過程を描くものです。この過程を通して、私たちは出来事の背後にある「意味」を発見します。物語は、複雑な現実を単純化し、私たちの認知能力に合わせて理解可能な形に整えることで、感情を揺さぶり、人生や社会の普遍的な真実についての洞察を与えてくれます。この単純化は、欠陥ではなく、むしろ物語が私たちに語りかけるための本質的な力なのです。
なるほど、物語は、
- 出来事の時系列的連鎖
- 主人公が困難に直面
- その困難に対応する過程で重要な変化が主人公の中で起こる
- それがその出来事の「意味」
というところまではわかる。確かに私がいままで触れてきた物語は例外なくこういう形を取っている。
- 物語は複雑な現実を単純化
- 現実を理解可能なものにするため
- 感情を揺さぶる
これもまあわかる。生の現実は複雑すぎて、複数の人間と社会の相互関係を描こうとすれば、単純化するしかないだろう。単純化を通じて、複数の出来事の因果関係を理解できる(できたつもりになる)。それが理解できて初めて、何らかの感想が生まれ、感情を揺さぶることになる(良くできた物語は、感情を揺さぶるようにもともと設計されている)。
しかしわからないのはこの部分。
- 人生や社会の普遍的な真実についての洞察を与える
- 現実の単純化は、物語が私たちに語りかけるための本質的な力
私のように科学や技術を通じて現実の物事の因果関係をずっと追いかけてきた人間からすると、いきなり「普遍的な真理」とか言われると面食らってしまう。「単純化は本質的な力」と言われても、はてな?という感じである。
私がいままで学んできたこととの類比でいえば、物語とは「人間関係や社会現象の動作原理に接近するためのモデル」なのかもしれない。ミクロ経済学が経済現象を説明するために無数のモデルから構成されているのと似ていると言えるのかもしれない。
ただし、物語と科学的なモデルとの違いは、物語は本質的に人の感情を揺さぶるものである点である。なんで感情が揺さぶられるのだろうか?それは日常生活で感情が揺さぶられるときと同じ認知の形式を取っているからだろう。私たちが社会生活を営むときには、自然に自分を主人公とする物語の中で生きているのだろう。そこに次々とさまざまな出来事が起こる。私たちはその出来事が起きた理由を推定し、出来事の間を因果関係で結びつける。そうやって現況に対する評価を行い、未来における幸福に近づいたと思えば、喜ぶ。遠ざかったと思えば悲しむ。自分の生存が脅かされると考えれば、怒る。物語は、こういう日常における出来事への評価と同じような体験ができるように構成されているのだろう。
「人生や社会の普遍的な真実」というのは言いすぎかもしれないが、十分な複雑さを備えた物語であれば、それを通じて、人々が特定の人間関係や社会的場面に立ったときに、どのような感情を持つか、あたかも物語の読者(視聴者)は自分が体験したかのように理解できるようになる、と言えるかもしれない。それは社会科学のように事実と論理で特定の人間心理や社会的状況を推定しようとするのとは全く異なったアプローチと言えるかもしれない。
こんなことをグタグタ考えているのは、私も小説を書いてみようかと思っているからだ。しかし、私はたぶん個別の人間より社会構造に関心がある。特定の社会構造をわかりやすく描写するのに、小説という形式が使えないか考えていた。でも、当たり前かもしれないが、特定の個人の心理に焦点を当てないと小説としては成立しそうもないなと、今回の考察を通じて学んだ。たとえば未来社会がいまとは大きく違ったものになったとして、そこで特定の個人がそれをどう受け止めて、その人が直面する課題を解決していくのか、記述していく必要がありそうだ。
これは一見遠回りのように見えて案外そうでもないのかもしれない。結局、我々にとって重要なのは、自分たちが幸せになれるかどうかという主観的な基準だ。物語の登場人物を通じて、その人物が幸せになったり不幸になったりすることで、その人が存在する社会がどの程度良いものなのか評価できる。その社会の改善点がわかったり、そもそもどういう社会が望ましいのか考えたりすることができる。
正直、私は小説を書くようなタイプではないし、物語の設定などをあれこれ考えるのに気恥ずかしさを感じるタイプだが、物語は自分の考えを表現するのに役立つかもしれない。いままでこういう方向から物事を考えたことがなかったので少なくとも新鮮ではある。今後も折に触れ、物語というものについて考えたことをここで発表していこうと思う。