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人間の本質

今日は、よく行くコワーキングスペースの企画でチェンマイ郊外の湖畔の店でタイ料理を食べるというランチイベントに参加してきた。湖岸の湖にせり出すように作られた吹き抜けの小屋で食事をする趣向だ。水面の上にあって、張り渡した木の隙から水面が見える。良く晴れて暑かったのだが、風が吹き抜けると涼しくて気持ちが良かった。

例によってメンバーの出身地はさまざま。引率してくれたコワーキングスペースのスタッフはタイ人だが、他にエジプト人・ブラジル人・ベルギー人・中国人・台湾人など(そして日本人の私)。コワーキングスペースに来るような人たちなので、英語が堪能で、インテリな人が多かった。楽しいひとときを過ごした。

チェンマイは世界中から外国人が遊びに来て、長期滞在している人たちも多い。コワーキングスペースも無数にあり、こうやってタイ人・外国人が交流している。今日のイベントでは、もちろんほとんどは初見の人たちなので、各国の生活習慣の違いとか無難な話題の世間話をした。私もあまり深くは聞かなかったが、みなそれぞれ背負っている国籍とは別に、あるいはそれと絡みながら、それぞれの思い、複雑な事情があるのがわかる。21世紀初頭の世界で、確かに国籍は重要な属性ではあるが、もちろん、人はそれだけでは規定できないのだ。最近、日本で喧しい「国籍の違いに異様にこだわる人たち」に思いをはせた。

こういう文化の違い系のネタなら私は無限に話し続けることができる。私自身が、日本社会に馴染めない人間で、はじき出されるようにして外に出ることが多く、文化の違いというものに敏感で興味津々だったからだ。しかし、最近はこうとも思う。人間にとって文化の違いというのは比較的表面的な違いにすぎない、と。文化という仮面を引きはがしてしまうと、その深層にある人間性というのは世界中で変わりがないと私は思っている。私が少し気にしすぎだったのだろう。

いま日本でようやく自国の移民国家としての側面に正面から向き合おうという動きが出始めているが、いまあるさまざまな外国人への反発は、ようやく日本人が外国人を認識し、それと本気で向き合おうとする始まりなのかもしれない。外国人を排斥しようとしている人たちですら、以前のように外国人が完全に透明で多くの日本人の意識に上らなかった頃の人たちよりは、外国人に関心を抱いているのである。文化の違いに気づき、格闘し、やがて最終的には「そんなもの人間の本質じゃないよね」と気づくところまで、しばらく葛藤が続くのであろう。

私は、日本に外国人に関係する問題が存在しないとは言っていない。問題は日本人側にも外国人側にもある。そういうアレコレを一つ一つ悩みながら解決していくことによって日本社会は成熟していくのだろうと思う。一部の人たちが夢想するのは「攘夷鎖国」なんて、21世紀の今日では夢物語にすぎないのだから。グローバル化が逆回転することはあり得ないし、日本人はなんとか外国人と共生する方法を考えていくしかないのだ(そしていま「外国人」と呼んでいる人たちとその子孫たちが、将来、新しい「日本人」の一部を形成していくことになる)。

……とまた日本社会の多文化化について語ってしまった。私は私の立場で自分にとってリアルに感じられることをこうやって語り続けるしかない。ただ、日本で海外に関心のない人、自分の地域社会の伝統的なしきたり以外のものに関心がなく、それを新しい時代に合わせて変化させていこうという気が全くない人たちがいて、そういう人たちとは永遠に話が平行線なので、最近は私はこういう話をすることが少なくなっていた。そういう日本人たちとどんどん入ってくる外国人たちがどう折り合っていくのかというのも日本社会にとっては重要なテーマであり続けるだろう。

私はしばらくの間、日本の外側から、日本列島にいる人たちがどのように新しい時代に適応していくのか見守っていくことにする。




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