私は数か月前に仕事をやめた。カネが十分に溜まり、カネのためだけに働く意味がなくなってしまったからだ。
その後、私はいろんな資料を見て社会について考えた。たまたま米国はトランプ政権がさまざまな非伝統的な(そして多くの場合非科学的な)政策を次々と打ち出している時期だったから、見ていてつらいものがあった。私が敬愛していた米国像が崩れてしまった。世界に対する見方を根本から変更しなければならなくなった。
いまは日本で参議院選挙の選挙活動が行われている。今回は新政党の勢いがすごい。一部の政党はポピュリスト的な主張をしており、トランプを彷彿させる。
社会があればそこに必ず政治はある。いまは世界中の政治が混乱し、筋の通らない話が横行している。正直言って胸が痛む。愚かだなとは思うけれども、それは特定の誰かが愚かということよりも、人類そのものの愚かさなのだろうと思う。政治を通じて、もともとあった人類の愚かさがよく見えるというだけの話なのだ。
こうした社会に対していま自分は何をすべきなのか考え続けている。 自分のことだけ考えて生きることはできるけれども、それも退屈である。 とはいえ自分の理想を社会に押し付けるのもおこがましい気もする。
自分の子供のころにさかのぼって考えてみた。 私は、「できることは多いけれどもやりたいことが少ない」子供だったと思う。 人生を通じて「こういう道に進みたい」とはっきり考えたことがあまりなかった。 ソフトウエアエンジニアになったのも、カネが稼ぎやすいからだった。それなりにやっていて楽しいときもあったけれども、「絶対にこれをやりたい」と思ってこの道に進んだわけではなかった。
私がやっていて楽しかったことを考えてみる。 おそらく私が一番楽しいのは気の合う人たちといろんなテーマで議論をすることだろうと思う。 これはなかなか楽しい。私は会話が好きらしい。ただしそれはありきたりな世間話ではなく、何か興味深いテーマに関する会話だ。
どうしたらこういう気の合う人たちと出会えるのだろうか?それをなかなか見つけることができない。 自分で何かイベントでも企画したらいいのかもしれない。しかしどうやって?何のテーマについて?
私は40代半ばの10年前に、中年の危機に見舞われた。若者時代の生き方がついに行き詰まってしまったのだ。その後、いろんな本を読んで自分の生き方を考え、結局、「他者をコントロールしない」生き方にたどり着いた。それまでの自分は、自分の価値観を押し付け、人をコントロールしようとする気持ちが強かったことに気づいたのだ。私は、人に自分の価値観をなるべく押し付けないように努力した。その試みが完全にうまくいったかはわからないが、少なくとも私自身は「他者は自分の思い通りに動くことはないし、それでよいのだ」と思えることによって、気持ちが楽になった。
私の気分の浮き沈みはなくなり、心は平静になった。それは良かったのだが、副作用もあった。他者への関心を失ってしまったのだ。他者を自分のコントロール対象から外してしまったので、もはやその人について考える必要もなくなってしまった。そういうことを繰り返すうちに私は他者自体に無関心になった。「人は人、自分は自分」だから、人は好きにやったらよい、私は知らない、というわけである。
その結果、多くの社会問題に対しても関心が薄くなり、強い意見を持たなくなってしまった。
私が唯一関心を持ち続けている分野はエネルギー分野だけかもしれない。電気自動車と再生エネルギーである。これは文明の基本形に関する話であり、仮に移行が遅れると大きな経済的な損失がある。日本経済にも大きなダメージがある。私の経済状況にも関係するかもしれない。日本人一般の生活にも大きな影響を与えるだろう。そこらへんがこの問題に関心を抱く理由である。
しかし、それ以外の生活に関する細かいあれやこれや事柄には明確な意見がない。基本、みんな好きなことをやればいいのでは、というスタンス(まあ、夫婦別姓だけはやったほうがいいとは思うけど)。
そういうわけで、あれやこれやの諸々の事柄について議論したいという気持ちは昔に比べると大幅に薄れてしまったように思う。しかし、それでいいのだろうか、という気持ちもある。
私は今後も「何のために生きるか」考え続けていきたい。 その過程をこのブログに綴っていこう。