吉田と別れた話を描こうとして

ここから描けなかった。
ん、まぁ、しょうがない。
吉田と別れた話を描こうとして

ここから描けなかった。
ん、まぁ、しょうがない。
Geminiに言わせれば来年後半まで一切労働しない方がマシらしいですが、そうも言ってられないので転職活動を行います(^◇^;)
転職エージェント3社登録。ハロワアプリインストール。
最初にオンライン面談した小僧は最初半笑いでこちらを値踏みするような態度の元SE。やな感じな上に話が要領を得ない。

そして面談中にも「(経歴書の自己アピール)chatgptに書かせればいい」みたいなことを言う人で(そこで提出してる書類、ジェミニ製ですw)、その後に来るメールもなんか……


次のヒアリングは電話で、担当の女性に謎にウケた(受ける場ではないw)
なんとなく、まぁ、今どこでも「自分は歓迎されていない」感が強くてキツいので来てくれってならどんな仕事でもしますぜ。
というわけで、スカウトメールが来た会社(学童施設)と面接に行ってみる。
10時からなのだが、バスが1時間に1本しかない関係で9時頃到着。家を出たのは6時である。
ウェルカムなムードの受付で、ワクワク待っていたら気難しそうなおじいさんがやってきた。社長(施設長?)かー!?
「こんな感じで元SEで、事務関係強いんでコチラ向けの書類ではないのですが〜」
っと履歴書と経歴書を出すとだるそうに目を通し
「で〜なんでこの経歴で学童で働こうと思ったのぉ?」
!?

転職エージェントも人を紹介しないとお金にならないから大変ですねぇなんて談笑して終わり。
土日祝日長期休暇も出社できるんですけどねぇってのだけがアピールポイントでしたwwwww
あーここで働きたーいって感じではなかったのでリラックスして臨めました。なんなら白いワイシャツはないし、メガネは日光で変色するレンズだしwwww
さて、帰りちょうどバスがあったのでラッキーと思ったのですが先払いの200円現金のみ。
財布には渋沢2枚
バスの運転手さんは両替不可能という。

渋沢栄一記念館でも両替を断られる。
深谷、嫌いです(笑)
5.7kmをぼんやり歩く。
なんか、とりあえず嫌になったから全部やめて無職でぼーっとしてようかなぁ、とほほ
春のイベントの準備が忙しい感じであります。2日目に広報の人から声がかかりました。
事前にイベントの取材が入るのだけど、その時間が早まった、と。
その日はお嬢(チームリーダー)もおらず、とりあえず伝えておきますねーという感じで終えた。これは私が悪いのだが、未だに他部署の人の名前と顔がわからない。
帰りに部長に会ったので早朝出社の許可を取り、守衛さんに毎度怒られる(?)ので話し通しておいてくれと頼んだのでした。
夜、お嬢に早く出社することは可能かをLINEで連絡しましたが、既読はつきませんでした(お嬢、社用スマホ置いて帰ってるんだよね…)。

で、翌日の朝会ではやくくるよーできたらお嬢も来てね~って話たら何故かお局がヒートアップ。
「上司の直接の命令じゃないからこいつの言う事無視しようぜ(要約)」と眼の前で言われる。
それをお嬢に良しとされる

私は私が受けた以上、早くくるけどw お前ら部署としての信頼も許可出してる部長の顔も潰す判断だけど大丈夫????(駄目だろ)
というわけで食い下がる。

更に取材時間が早まったということで、私は始発でも間に合わないのだが、こんな扱いを受けてお嬢の指示を聞く気にもなれず(ってのがいつも私の敗因だとは思う)、始発で出社したところ、守衛さんには文句を言われ(なんかお嬢の申請出てなかったらしい)、まだ暗い中見つけたお嬢は広報の人と一緒におしゃべりに夢中だったのでした。

後日、本社のお姉さんと飯を食っていたら、広報の人に気をつけろとか年収が200万くらい下がるとか踏まれて蹴られて泣きっ面に蜂。
なお、この間吉田からの連絡は一切ない。
全部やめたる!!!!!!(やけになってるだけじゃんw)
私は大事なこともすぐ忘れてしまうのです。



吾輩、どうも契約した労働条件から逸脱しまくって現場仕事している。色々突っ込まれたら面倒なことになりそうなんだけど、とりあえず現場は年間120日休みで、月に10日休んで良いシフトになっている。木金休みなのだが、2月は+2日休みがいただけることに。
今日。
久しぶりに吉田(仮名・恋人)と遠出をすることにする。
期日前投票もバッチリ。
吉田はなぜか鮟鱇(あんこう)鍋を食べに大洗に行きたいと何度も言っていて、言っていたはずなのに雰囲気が「エルベさんが食べたいと言ったから行くかー」みたいな……謎。
昨日の労働後、21時過ぎに吉田がうちに来る。一緒に酒のんで風呂入って寝たら寝てしまった。こうやってだんだん性欲も薄れていくのであろうか。
今日は5時台に家を出て水戸に向かう。
どこだろ、多分山手線

上野から水戸までグリーン券を買ったが、グリーン車が土浦で切り離されてしまうのだった(以前同じミスをしていたため、吉田が叫ぶw)
このしめ鯖に当たったらしく、吉田が土浦で嘔吐する(私は平気です)

真っ白な顔の吉田が頑なに大丈夫だと言いはるので続行。
結果何事もなくてよかったがアレルギー反応だと怖いので今後は注意したい。
水戸

PayPayは使えるのにSuicaもPASMOも拒否する姿勢が怖い茨城バス
いばっピを交通系ICカードに入れられなかったか……JRが殿様商売してそうだな、などと余計なことを考える。QUICPayで払ったつもりだっったがVISAカードのタッチ決済だった模様。

寿多庵
029-267-4611
茨城県東茨城郡大洗町磯浜町7929
https://tabelog.com/ibaraki/A0801/A080102/8001251/





近いので水族館へ
https://www.aquaworld-oarai.com/
真珠の取り出ししてみたかったけど、雪のせいかお休みだった









帰りは大洗駅に行ってみたが、鹿島神宮側は運休、水戸までも絞っての運行であった。


疲れたし帰るかーという空気の中、吉田が当たり前のように途中下車して買い物するというので、嬉しくなった。
串カツ田中のパス持ってるので最後に飲むかーと覗いたら満席。待ってまでではないね、と笑いながら近くの日高屋で締め

さ、明日から頑張るぞー
年末にgeminiが半額くらいになっていたので、課金したのだ。
コレがまた使えないwwwwww
どーもなに頼んでも抜けている。
毎年恒例でマルセイ(元夫)のアイコンを描いているのだが、毎度オーダーが面倒なので投げてみた。


お前は何を言っているんだ、本当に。
(結局自分で描いた)
お金関係の相談もしていて、今、NISA口座が大手証券会社で手数料とか高いのでどっか移したいなーって話とかよくしてるけど、なに相談してもオルカン買えしかいわんw
今PayPayヘビーユーザーでゴールドカード有料で使ってるけどキャリア変えるならどうするのが良い? って聞いたらゴールドカードを普通のに切り替えろっていうから手続き進めてるのに、実際の利用履歴読ませたら、年間450万使ってるからゴールドでいいとか言い出す。
450万も使ってるわけがなかろう!!
と突っ込むとごめん、間違えた~とか。
なんやこいつ。
一番やばいの仕事で使うデータをPDFで渡してもうまく読めてないから、画像で渡していじってくれって言ったら混乱してて、PDFは忘れろ! って何度言っても引きずってた(^_^;)
カスタム指示追加したけど全然変わった感じしないw

なんかまぁ、それはそれで同族感でてくるw
身内の恥をさらしても仕方ないのだけど、私主観で私のバックボーンを記録しておくことに意義があると思うのでお時間があれば付き合って欲しい。
父方の祖父母は割と裕福な家の人間だったのだと思う。明治生れの祖父は小学校をでて、戦争の影響で中高(に相当する)学校には行かずに早稲田大学を出たという。満州鉄道に勤め、引き揚げで長野に戻るも、次男のため居場所がなく、北海道に開拓に来たという。
大正生れの祖母は女学校を出ていたという。ボンボンとお嬢様な感じがする。
父は4人兄弟(兄、姉1、姉2)の末っ子で、他の兄弟は皆、北海道を出ていった。次男で苦労したであろうに、祖父は長男を贔屓した。話は前後するが、祖父が建てた家に父の部屋だけなかった(ので早く家を出たくて母をストーキングした)という。明治はそういう価値観だった、ということか。
父は姉たちには可愛がられており、頭が上がらないという。
伯母(姉2)はいつも派手目なお化粧をしていて、あまり会ったことがなかった。理由は知らないが祖父が「俺の子じゃない」といい、祖母がブチギレて結婚式の写真を庭で燃やしたという。
姉2は「このまま家にいられない」と、駆け落ちのような形で家を出て、勘当状態。その男の子供を産み、別のヒモのような男と暮らしているらしかった。
父はなぜか祖父母の隣に住み(まぁ多分金がなかったのだろう)、祖父母の介護を3児を抱えた母に丸投げ。祖父母が亡くなり、結構な額の遺産が動いたが、父は「親父の形見のカメラが貰えればそれでいいよ」と、かなり少ない、不平等な相続となったという。
母いわく、なのでなんともわからんが、嫁と子供使って親孝行が得意な男である。
「あの時、大金を得たら家族が壊れてしまっていたと思う」
と後に酔っ払って父が言っていたが、父と兄は全く口を利かないまま数十年同じ屋根の下におり、母が気を使って時間をずらして食事の準備をし、十分壊れてる現実を見て欲しいと思うw
話がそれた。
数年前、伯母(父の姉2)は生活保護を受給することとなった。なにがどうしたのかは知らない。そして腰を痛めて入院した。祖父母の葬式のときに一緒に来ていた穏やかそうな眼鏡のおじさんは、一度もお見舞いに来なかったという。
伯母の子(従兄弟)は姉と弟がいるのだが、姉はいくら言っても母が言うことを聞かない、と呆れて疎遠になってしまったらしい。弟はイラストレーターで、妻子を得ているが、奥様のほうがおそらく経済的にも精神的にも強いようで、伯母のお見舞いで私の両親と同席したときも、一番気を使うのは奥様のほうで、北海道から来て見舞っているウチの両親はどうでも良さそうな対応であった。
話がそれた。
で、その叔母がまた倒れてしまい、入院しているというので見舞いに行ったのだ。
おそらく退院しても、眼鏡のおじさんは介護してくれないだろう。確かマンションが上階で階段が上がれなくて困っているとか以前聞いた。伯母の行き場所があるのか不安で、それは己の将来の不安でもある。
深くは介入できない。そこまでの経済力も精神的余裕も私は持っていない。だから極力明るく振る舞ったが、そこには化粧っ気がなくなって疲れ果てた顔の伯母がいた。
それでも私を認識すると笑顔になってくれて
「〇〇(父の名)は元気なの?!」
とか細い声で聞いてくれた。
私と伯母はきっと合計しても1週間も一緒にいない。
でもかつて、父と伯母は、家族としての時間をたくさん過ごしてきたのだ。不思議。
70代後半の父は朝から母に甘え、母も長女なのでまんざらでもなく、ヨシヨシと構うと大喜びで
「この年で朝から爆笑して過ごせるようになると思わなかったなぁ~」
と言っているとかなんとか母が言っていた。
伯母は80代である種の戦いを強いられている。
祖父母の葬式で、場違だと冷遇されていた眼鏡のおじさんに、幼い私が懐いて、随分助かったのだと伯母が言っていたらしい(母談)。
切れて写真を燃やす祖母、家族に見切りをつけて北海道を断った伯母、それらの血も私を助けてくれていると思う。