大高忠雄が江戸下向しようとしている道中、団蔵というヤクザ者の馬子が
「馬に乗れ」とからんできた。忠雄は断ったが、腰抜け侍と見て調子に乗った団蔵は「詫び証文を書け」と因縁をつけてくる。大高はここで騒ぎになるわけにはいかないと思って、おとなしくその証文を書いた。これを見た団蔵は腰抜け侍ぶりを笑ったが、
その後、赤穂浪士の討ち入りがあり、そのなかに忠雄がいたことを知った団蔵は
己を恥じて出家の上、忠雄を弔ったという。
大高の詫び証文が三島の旧本陣世古家に所蔵されて現存している。
しかし、これらは後世の創作といわれている 