鳩摩羅什(西暦344-413年)は、中国仏教史上最も重要な翻訳僧の一人である。梵本法華経と羅什訳の妙法蓮華経の違いについては、指摘されている研究者の方々もいるようだ。わりと有名な話しらしい。
Wikiによれば、鳩摩羅什訳の特徴は逐語訳というよりは意訳、また一部に大胆な創作を加えたり意図的に訳語を使い分けた疑いが指摘されている。彼が訳した原本が存在しないため、現存しているサンスクリット写本との差異があったかについても、検証が不可能となっている。が、鳩摩羅什が妙法蓮華経を意図的に編集していたことは間違いない。
紅蓮寺が調べた限りでは、梵本法華経にあるタントリックな、性的にシンボライズされたシーン、例えば変成男子の場面…言ってみればエロいシーンは、羅什訳では全て削除されている。
この理由を推察するに、2つ考えられる。
①鳩摩羅什は天才だったが、パトロンの権力者に破戒を強いられた一生だった。ならば性的に心理的トラウマを持ち、そうした性的なタントリックな文章を訳経の中から排除する潔癖な心理的志向を持つようになってもおかしくはないだろう。
②国家事業だからパトロンの皇帝の顔色を伺った。勅令の事業なのにタントリックなお経の猥雑シーンをそのまま訳したら首がとんでしまう。なので黙って改変したか、もしくは皇帝や事業執行部に相談した結果、国としてそういうシーンはマズイので変えてください、変えます、のやり取りがあったのかもしれない。逆に言えばその「潔癖に編集された法華経」が中国や日本ではお国柄ウケた。
次回からは鳩摩羅什によって編集された部分について語ろうと思うが、その前に偉大な三蔵法師である鳩摩羅什の悲劇の一生を辿ってみよう。
鳩摩羅什は12歳のとき出会った謎の僧侶から、「35歳まで破戒することがなければ、大いに仏教を興隆するであろう。もし破戒すれば、単にすぐれた僧侶に留まるだろう」と予言を受ける。
時は五胡十六国時代、前秦の皇帝苻堅に仕えていた武将・呂光は苻堅の命により西域遠征を実施し、クチャなど西域諸国を征服。その際、クチャにいた鳩摩羅什を捕え、連れ帰った。後に苻堅が淝水の戦い(383年)で敗北し前秦が弱体化すると、呂光は涼州(現在の甘粛省一帯)に独立勢力を築き、後涼を建国(386年)した。
385年、鳩摩羅什が龜茲から涼州に連行された際、呂光は彼を酒に酔わせ、龜茲王の娘と強制的に結婚させた。鳩摩羅什は拒絶したものの、武力で脅迫されて破戒してしまう。この時、奇しくも鳩摩羅什は35歳であった。
401年、後秦の皇帝姚興が後涼を攻撃して呂氏の勢力を滅ぼし、鳩摩羅什を仏教の師と仰ぎ長安に迎え入れた。姚興は仏教を厚く保護し、鳩摩羅什に大規模な訳経事業を始めさせる。これによって鳩摩羅什はその言語的天才性を発揮し、中国仏教の基盤となる経典の翻訳を次々と完成させていった。しかし、ここでも鳩摩羅什は破戒を強いられる。後秦の姚興「優れた知性を持つ子孫を残すべき」として、複数の宮女との結婚を強要した。これに対し、鳩摩羅什は拒んだが、最終的に受け入れ、僧院を出て還俗した。妻帯した翻訳者として余生を送った。
※高僧伝より
『高僧伝』によれば、鳩摩羅什は講義の際、弟子たちに向かって「蓮華の泥の中にありて、泥に染まらず」という譬えを挙げ、自らを「泥の中に沈む蓮」と表現した。さらに、弟子たちが彼の破戒、つまり妻帯を真似ようとした際、彼は一鉢の針を飲み込み、「私にできても、あなたたちにはできない」と戒めたとされる。また、臨終の直前に「我が所伝(訳した経典)が無謬ならば(間違いが無ければ)焚身ののちに舌焦爛せず」と言ったが、まさに火葬したところ、薪滅し姿形なくして、ただ舌だけが焼け残ったという。