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ヌエ②「のっぺらぼう」へ


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※前回も書いているように、この説は後に否定されます。なぜなら弁証法的に間違えた思考モデルから否定するプロセスを追っているからです、アウフヘーベン(止揚)するために。仏教の空とは違う!と言われましても、間違いの例と、何故間違えてるのかという理由を示しているのだから、それはしょうがないことなのでご容赦いただきたいです、弁証法だから。では、二段目へ…


○『排除する一者』モデル〈一から多へ〉

前段でのバラバラの諸性質を足し算し束にしてもはたして一つのモノとして機能するのかという疑問から、ヌエはヌエとしての本質を持ち、一つの存在として存在しているというモデルを考えることになる。部分である猿、狸、虎、蛇は言うならば差異を持つ各部分性質に過ぎず、独立して存在しない。これらは、一者を様々な面から見た断面にすぎない。一者は謂わばこれら部分とは異なる次元の本質として、上位次元に排除され、上位次元の一者はこれら差異を持つ部分諸性質を下位次元に排除する。喩えるならばダイヤモンドの切子状の断面を把握して、それぞれの形を猿、狸、虎、蛇として差異を認識している。が、ダイヤモンドそのものは本質的にして別次元である。また、ここではやがて否定されるべき視点としてその性質の差異を本質的なものとしてでなく、意識の側に置く。意識とカルマの集積に全面的に依るものとする。つまり、全面的に観察者の意識によりその性質に見え感じてしまうとする。清らかな川が餓鬼にとってはマグマの川に見えるようにである。手塚治虫の漫画『火の鳥未来編』でロビタというロボットが出てくる。溶鉱炉から流れ出る真っ赤な溶けた鉄が、ロボットには清らかな川に見えるという逆パターンの描写があった。


○占い

運命がある程度見通せる占星術や八字など命理の考えだと、人の一生を4次元的な形に変換するという考えかたになるのでは。ホロスコープのネイタルとプログレスみたいな。三世常住とする説一切有部もそう。我々の人生も4次元的に見れば3次元より多い辺を持つ不可思議な幾何学の立方体かもしれない。そして我々が認識する現実の今の私はその立方体の断面(2次元)にすぎない、という考えかたもできる。(この不可思議な立方体に見る諸性質を観察者の意識に全面的に置くという考えは、のっぺらぼうにより否定される。つまり、認識外の高次元実在は否定できない)


○「ヌエ」から「のっぺらぼう」へ

猿、狸、虎、蛇を差異化し相互排除する。その相互排除、世界の差異化は、モノの次元の客観的本質的な立場からすれば非本質的な意識の次元で起きているとする。意識は働いている時と、睡眠中など働いていない時があるので、常にあるモノに対して、とぎれとぎれなので非本質的である。例えば天体と比べてみれば、人の意識はあまりにあやふやで蜃気楼のようだ。猿、狸、虎、蛇の諸性質は、人の意識とカルマに全面的に依るので、これをヌエから剥離させる。すると、諸性質の排除されたヌエは「のっぺらぼう」となるのだ。この「のっぺらぼう」が客観的本質である。ところがこのパースペクティブだと、性質を剥がされたモノ全てが「のっぺらぼう」となり等しくなる。すると、モノの上位次元において他のモノと分別不可能となるので、矛盾が生ずることになってしまう。つまり、全ての形象などの諸性質を意識の内側にあるとする有形象認識論や、それと似た類のヘーゲルの「精神現象学,知覚Ⅱ」での仮説の問題点が炙り出される。その結果、形象などの諸性質を意識の外に設定する三段目のモデルに続くこととなる。


微分

微分とは関数の瞬間の変化率を求めることだ、2点の差異(lim→0)というやつである、高校でやったがほとんど忘れていた。総和としての一者から諸性質をそれぞれ差を求め排除、引き算割り算していく、謂わば微分である。分解、差異化していくわけだが、元々一つのモノという考えのために諸性質は非離散集合的である、つまり独立していない。

 

○空間の分割、方位
例えば、空間的延長としてみれば、北東の寅(虎)、南東の巳(蛇)、南西の申(猿)、北西の乾(戌亥つまり犬と猪)といった方位の差異がある。空間を割っていく作業だ。が、北東もあれば南西もあるので、方位というものは独立していない。


○時間の分割から刹那滅へ

時間的延長で考えると、

申(15:00~17:00)  、寅(3:00~5:00)  、巳(9:00~11:00)  、亥(21:00~23:00)  というように分割できる。もちろん各時間は独立など不可能で、1日を切り取っているだけだ。

この分割をさらに差異(lim→0)にしていけば刹那滅だが、説一切有部の刹那滅では三世は常住で、有為法が独立しており常住不滅なため過去にスライドしているというものだった。現在に刹那出現した有為法はなんと滅することなく作用を失い過去に存在しているとする。

★それに対して、経量部の刹那滅では三世は常住の実体ではないので、現在の刹那のみ存在するとする。その心相続は残留した種子に依るものである。刹那という時間的極小における{生住異滅}を関数とすれば、瞬間的な変化率である導関数は、3つめの(異)が表すのだろう。




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