
十戒の不捉持生像金銀宝物戒や、具足戒の受畜金銀戒、貿易金銀戒、種々販売戒などがあったものの、大乗仏教は貨幣のおかげで広まった側面があります。クシャン朝カニシカ王(127-151 年) が仏陀の立像と坐像を金貨に使用していました。カシニカはディナール金貨に釈迦牟尼仏や弥勒仏を刻印して発行したのです。このブッダコインはクシャーン朝と交易する全世界へと広まりました。それにより仏教が世界に流布されたのです。転輪王と言われたカシニカですが、末法の世の〈輪宝〉とは貨幣(コイン)のことだったのでしょうか?
では、さてお金、貨幣とは何でしょうか?これを考えることはとても重要です。昔、知ってる某大学の仏教学部の中国人留学生僧侶が、日本の大寺院の息子さんたちと付き合い、その考えを聞いて、これは仏教学でなく仏教経営学だわ、と言っていましたが…仏教においてもお金は大事です、という考えならば、なおさら考える必要があります。
お金とは何か?
貨幣は交換経済から始まります。ここでは私がよく買う3号蝋燭20本(1箱)を例にとります。
①第一形態(交換価値の始まり)
3号蝋燭20本(1箱)
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天ぷら蕎麦(立食い蕎麦)一杯
単純交換は仏具屋と、蕎麦屋がそれぞれ交換してもいいな、と勝手に決めて成立します。お互いの使用価値から相互に交換が承認されます。だいたい500円くらいですね。
②第二形態(交換価値)
3号蝋燭20本(1箱)
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天ぷら蕎麦(立食い蕎麦)1杯
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コンビニサンドイッチ: 1個
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ハンドソープの詰め替え用: 1個
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漫画もしくは文庫本: 1冊
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ハーブの苗や小さな観葉植物: 1鉢
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ちゅーる詰め合わせ:2袋
これらが等価であるときのみ、交換可能である。これらは相対価値形態にとどまっています。しかし、交換市場は拡大していってますね。
③第三形態
3号蝋燭しか交換が認められない市場形態です。3号蝋燭を除いて、等価形態から排除します。全ての交換は3号蝋燭を通して行われるようになります。
⚫︎3号蝋燭20本(1箱)
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天ぷら蕎麦(立食い蕎麦)1杯
コンビニサンドイッチ: 1個
ハンドソープの詰め替え用: 1個
漫画もしくは文庫本: 1冊
ハーブの苗や小さな観葉植物: 1鉢
ちゅーる詰め合わせ:2袋
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例えば〈ちゅーるの詰め合わせ〉と〈ハンドソープの詰め替え用〉を交換したい時に、一度。3号蝋燭と交換してからもう一度、希望の商品と交換ということになります。3号蝋燭はここに一般的等価形態を実現してしまいます。しかし逆に相対的価値形態から排除されてしまいます。なぜなら3号蝋燭は自分自身の等価として役立たなければならなくなり、3号蝋燭20本(1箱)= 3号蝋燭20本(1箱)という価値も価値量も表現できないトートロジー(小泉進次郎的同義反復)に陥ってしまいます。矛盾ですね。
④第四形態
そこで、等価形態が社会的に合成された商品、つまり貨幣商品が登場します。つまり、予め相対的価値形態から排除された、金商品ですね。この金商品には国家の刻印を押され、偽造を防ぐ仕組みや、法律が整備されてます。つまり、上のカシニカ王のブッダコインと同じ、貨幣です。さらに卑近な例でわかりやすいのがパチンコの金景品です。それ以外の交換方法は禁じられています。それ以外のことをすると、その社会における暴力装置が作動して酷い目に遭います。貨幣も同じです、警察という暴力装置が作動します。贋金造りの罪は非常に重いです。
こう見てみますと、
お金とは他商品と交換できる、合成された商品だが、それ自体で売り物であるということから排除(アポーハ)されています。上のコインのようにコレクターズアイテムでない限り。つまり、お金そのものの使用価値はゼロなのです。
つまり、お金の本質は交換すること…「等価交換」ということなんですね。
この「等価交換」は呪術の世界でも同じで、願いごとが叶ったら、自分や家系のどこかから等価の何がしかが差っ引かれてしまいます。
「等価交換」は呪術の基本です。