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ぬらりひょん


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霊は、死んだ記憶があるので、自らを"有る"と定められず、自らの非有に向かう。しかし自らを意識しているので、自らが無いとも言えず、自己として非有であり無でもない存在、すなわち"他者"に向かう。

このことをヘーゲル的に言えば"向他有"となるが、いわゆる憑き物というものだ。これを恣意的に引き起こす悪霊や、黒呪術師もいる。

かつて、イエス・キリストはこのようなことを言った。

「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出てきたわが家に戻ろう』と言う。戻ってみると、空き家になっており、掃除して、整えられていた。そこで、出掛けて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。」マタイ12・43~45

これは、聖書の有名な「ガダラの豚」の話しに出てくる「レギオン」という悪霊の話しだが、同じような民話も日本には伝わっている。「ぬらりひょん」という妖怪である。妖怪の総大将とも噂されるこの謎の妖怪は、他人の家にあがりこみ、あたかも自分が主人のようにふるまう、とされる。このぬらりくらりとしてとらえどころのない妖怪の話の真意は、イエスの言う家にあがりこむ霊と同じであり、古人は人の中にあがりこむ「霊」の存在を知覚し、このような怪談にして伝えようとした。

精霊、死霊、または生きた呪術師の中にも、このようなことを行うものは存在し、人の脳「家」にあがりこみ、主人として振る舞うのである。このような者は、意識的、意識的でないにせよ、存在する。標的の脳という「家」にあがりこんだそれは、被害者が何らかの対策をしない限り、居座り続ける。そして、標的にされる人間はたいてい「隙」があるのかもしれない。何らかの間違った霊的修行法、薬物乱用などをした人間、自殺未遂者には、オーラ体に傷、 ほころびがあり、「ぬらりひょん」からすると、戸口が開いているように見えるのである。

「肉体使わないんだろ?だったらよこせ」

と、「ぬらりひょん」に言われたところで、自殺者は拒否できない。しかも、大抵の場合、「ぬらりひょん」は単数ではなく、複数で来るのである。これらは「百鬼夜行」とも言われる。統一性を失った多数性は呪わしい状態である。つまり、ビリー・ミリガンみたいな状態になる。『ガダラの豚』の場合には、イエスに追い出されたレギオンは、男から出た後に豚二千頭に取り憑いて、湖に飛び込んで死んだ。つまりは総数が二千体の百鬼夜行である。東洋でも似た感じだろう。

また、生きた人間の呪術師が「ぬらりひょん」になる場合。呪術的には「トロイの木馬」という術式がとられる。標的に「自分の意識の分身」を潜り込ませるのだ…つまりはコントロールされた生霊のようなもの。だんだんとラポールを形成していって、「仲良く」なるわけである。かくして、その呪術師の「お願い」を聞きやすい体質になった「標的」に、あとあとよく考えれば全く割にあわないことを頼むのだ。このような「支配」「非支配」のゲームは意識の裏の世界では常に行われている。

黒い呪術師の世界ではひっきりなしにその手の行為が行われており、 術師の生霊が、なんらかのルートから侵入してエネルギーを奪う、なんて霊的違法行為までまかり通っている。

そして、特殊な祈祷、五体加持やエクソシストの悪魔祓いでもしない限り、「それ」は追い出せない。

また対策として、ある、関西在住の呪術師から聞いた話しだが、その人の弁を借りれば、そういう侵入者は「自分にしちゃえ」とのことである。昔、TVに出ていた、ある霊能者も「聞き分けのない霊は、食べる」との名言を残しているが、そのようなことだ。まるで大黒天のようだが。哲学的に言うならば〈不可識別者同一の原理〉により〈一者〉が食べてしまうのだ。


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