「ダライ・ラマ 15世」が2人の現実味 中国政府に「消された」後継者と“偽物”が暗示する未来 | 概要 | AERA DIGITAL(アエラデジタル)
この記事のチベットの現状を見ていると、仏教に弾圧はつきものだな、とつくづく思う。転生するなら日本人ダライ・ラマでもいいのでは?とか思ったが、それにはどうやら反対する人たちがいるらしい。推測だが、政界や経済界や宗教界のいわゆる親中派。それから、参政党やへずまりゅうなどの排他的ネオ右翼もだ。後者のロジックは日本人ファーストならどうしてチベットや台湾の面倒な問題に、日本人の金と命と土地を使わなきゃいけないのか、という人々が投票してるから。2つの勢力だが、この問題に関しては、なぜか当面の意見は一致するのだ。近い将来、チベット難民や台湾難民をどうするんだろね。参政党やへずまりゅうは排除を主張するんでしょうね。
法華経を読んでいて、以前から、仏教が弾圧された時のための対策のためのお経だという実感があった。化城喩品に見るダミー教義の設定許可は、明らかに、弾圧する他宗教や権力を想定してのものだ。
例えば密教の護摩も、もとはホーマと言うバラモン教の護摩やゾロアスター教(拝火教)の儀式が起源と言われている。仏教では元々、護摩はやっていなかった。釈尊は「もし火によって穢れがなくなるというなら、朝から晩まで火を燃やしている鍛冶屋がもっとも穢れがなく解脱しているはずなのに、なぜバラモン教のカーストでは鍛冶屋は最下級にいるのか」と批判した。にも関わらず、なぜ密教では護摩を焚くようになったのか。
思うに、これは仏教が『擬態』していた時期があるからではあるまいか。化城喩品においては釈尊自身がダミー教義の設定を、罪にはならない、方便だから、と許可している。
6世紀にエフタルの王、ミヒラクラ王がゾロアスター(拝火教)教を信仰し、インドの仏教徒を大規模に迫害した。この破仏のことを釈尊が予言した、とされる『蓮華面経』というものまでがある。隋代の訳経僧である那連提耶舎(なれんだいやしゃ)により漢訳された。「蓮華面」という名の外道が仏法を破壊するという誓願を立て、後に転生してミヒラクラになり仏鉢を破壊するというものだ。さらに6世紀以降にはヒンドゥー教のバクティ信仰などの勢力が強まり、仏教は徐々に弱まっていく。12世紀にはイスラム教の侵略、仏像や経典への破壊、比丘への虐殺によりインド仏教は完全に廃れた。
護摩や、ヒンドゥー教起源の天部信仰は、帝釈天、弁財天、聖天、毘沙門天、全員がヒンドゥー教のインド土着の神様。不動明王のアチャラナータという梵名に迦楼羅炎などシヴァ神とビシュヌ神の影響が強い。しかも明王も、十一面観世音も名前やお姿も、ヒンドゥーの神々の名前を含んだものだ。
これはインドの人々を仏教を広めていく過程で、仏教が『擬態』する必要があった、現地化する必要があったからだ。ペルシャのゾロアスター教をミヒラクラが国教にしていたから、またその後ヒンドゥー教が締付を計ったから。ガサ入れされても大丈夫なような信仰形態にした結果、護摩やインドのデーヴァ(天部)信仰を「化城」にして布教していったのではあるまいか。ちょうど現代の中国共産党とチベット自治区の人たちのような状況だ。まさに隠れ念仏。
信解品第四では窮子喩は、弾圧時に仏法を全く知らない大衆に向かい説くときには、彼らと同じ文化、同じような労働をして、同じような服装を纏い、潜入して法を伝えていこう、と言っている。長者の息子がボロ服を着て、また便所掃除をするようなことだ。外道思想を雪隠の穢れとして表現しているが、ここはそのように外道思想(穢れ)にまみれる必要性があるのだ。教えの違う外道思想は仏法にとっての〈穢れ〉である。
外道思想への『擬態』には…『防御』の側面と『攻撃』の側面がある。防御は弾圧時の官憲への言い訳と。攻撃は擬態した外道宗教の信徒への切り崩し(折伏)である。つまりは、中国に日本の一部が占領された時の人民解放軍への言い訳擬態の仏教共産主義、または逆に共産主義者への布教に特化した仏教。
そういえば、金の毛沢東の仏像を拝む中国の農民はマルクスを何も知らないのではないか。仏教社会主義を標榜するプッタタートや、北一輝や妹尾義郎のような法華経に基づく社会主義もあり。北一輝の「日本改造大綱」を読んだが、自らの主張をヨーロッパやロシアの共産主義といっしょにするなと言っていた。とくにマルクス云々もなかった。
とはいえ、マルクス主義や毛沢東主義を、あくまで批判的に勉強する必要はあると感じている。ロジックがわからないと中国人とディベートにすらならないから。なので、ヘーゲルから始めているのだ。