①自性モデル
知覚の対象であるモノは、1つのあるモノである。モノがそれにおいて1つであるということは、自性が成立するということになってしまう。この1つの自性において個別化の原因となる諸性質は1つの自性に所属するものとしてお互いに無関心に集合している蘊である。ヘーゲルは岩塩をモデルにしているが、ここでは角砂糖をモデルにしてみよう。角砂糖という対象が物として存在する場面を想定する。ある角砂糖は白くもまたあり、四角くもまたあり、甘くもあり、またザラザラとしている。このとき、諸性質そのものは独立して自性を持つとする。性質そのものは普遍でありなおかつ不変である。互いに無関心かつバラバラに存在しており、角砂糖という自性がそれを核としてまとめている。
またそれら自性ある諸性質の離散を寿命とするとしたら、説一切有部の考え方となる。諸性質をモノの自性が所属していることはニヤーヤの内属という考え方にも似ている。
しかし、モデル①には不都合が生ずる。諸性質が自性として独立して、お互いに無関心に関われないまま存在しているならば、白くもまたあり、四角くもまたあり、甘くもあり、またザラザラとしているといった諸性質は、黒くもあり、丸くあり、苦くあり、ツルツルとしているような、明らかに正反対の関係にある他の諸性質と、関係性や否定、排除が生じない。四角は丸くないと言えなくなる。自性は自己完結しており他との関係を必要としないからである。つまり、性質というものの定義、規定上、あまりに不都合なものとなる。また角砂糖が自己完結した自性なら、他のそれのみで存在する諸性質が集合するはずもない。
ヘーゲル的に言えば、性質の規定制のために角砂糖をバラバラに分割することとなる。
つまり、自性として独立した、関係性を持たない諸性質のため角砂糖というものが性質ごとにバラバラになってしまうのだ。それは困る。これにより正反対の方法論がとられる。つまり、諸性質の関係(縁)を認め、諸性質をお互いに排除し合う関係性を持つものとして捉える、縁起モデルへとヘーゲルは思惟を移行させる。