
チベット神話を知ると興味深い。チベットの国土は横たわる羅刹女と信じられている。
7世紀、ソンツェンガンポ王は羅刹女の手・足・肩・肘・膝・臀部にあたる12ヵ所を封印するために寺院を建て、心臓にあたるオータンタプリ湖を埋め立ててチョカン寺(大昭寺)とラモチェ寺(小昭寺)を建立した。この心臓にあたる土地が現在のラサである。後述するが、チョカン寺にはあのアティーシャが訪れている。チベット人は、この封印された羅刹女と猿の子孫とされる。正確には観音菩薩の化身である雄猿が、羅刹女と交わって六つの種族を生み出した。彼らは外観は猿と変わらないが、尻尾が無くなっていた。この猿人が現在のチベット人の先祖である。父親の性格を受け継いだ子孫は、慈悲深く、豊かな知性と感性を持ち、寡黙な者となった。母親の羅刹女の性格を受け継いだ子孫は顔が赫く、残忍にして好色、頑固な性格となった。
伝説によると、ウー・ツァン地方のツェタン近郊に、この羅刹女と猿の夫妻と子供たちは住んでいた。ツェタンの裏のコンポリ山の洞窟には、猿人たちの住んでいた洞窟がある。十一世紀にチベットを訪れたアティーシャはラサのチョカン寺(大昭寺)の柱の中にある文書を発見した。チベット人羅刹女起源説の証拠が記されていたという。
「チベット政治史」(亜細亜大学アジア研究所)によるとウー・ツァン地方の人々は微妙に骨格が違うという。
同書から抜粋すると、「現代の人類学者たちは、チベット人はモンゴル人種に属すると主張している。チベット人は何世紀にもわたってモンゴルと密接な関係を保ってきたことからも、この主張はもっともらしくみえる。しかし今日にいたるまでチベット人とモンゴル人の頭蓋骨の比較は行われていない。」
頭蓋骨の比較について同書では批判しているが、時代は急激にその科学技術と共に進歩している。近年、遺伝子情報の比較が行われたのだが、面白いことがわかった。日本人とチベット人はY染色体遺伝子のタイプが、ハプログループDなのだ。ちなみに漢民族や朝鮮民族はハプログループOである。
現在アフリカの角と呼ばれる地域から、ホモ・サピエンスは紅海を渡ってアフリカ大陸を脱出した。アラビア半島の南端から海岸沿いに東北に進みイラン付近に至った。これが原アーリア人である。さらにイラン付近からアルタイ山脈付近に北上したのが約6万年前頃。この6万年前に何らかの外的な遺伝子的介入があり、アルタイ山脈からチベット近辺でハプログループDEからハプログループDが誕生した。この6万年前の外的な遺伝子の介入が、おそらくは羅刹女(と言われている人種)との交配であろうと推測される。ハプログループDのうち、東進して日本列島に至り誕生したのがハプログループD1bであり、アルタイからチベット付近にとどまったグループから誕生した系統がチベット人つまりハプログループD1aである。
つまり、チベット民族と日本民族はかなり血縁的には近いのである。そういえば国旗も似ている。この雪山獅子旗は日本人僧侶の青木文教師がデザインしたものらしい。
