清沢満之の『宗教哲学骸骨』を読んでいるが、ヘーゲル哲学の影響が顕著に見られた。
ヘーゲル哲学は正、反、合の三位一体からなり、合において正反対の矛盾を、アウフヘーベン(止揚)していく、いわゆる弁証法というものだ。弁証法は龍樹の〈中〉がヘーゲルのアウフヘーベン(止揚)にかなり似てますよね、という仏教学者もおられますが。
ただ、我々、坊主が忌み恐れるマルクス主義もヘーゲル哲学から出てきた。しかし、批判的継承と言われている。マルクス主義はどちらかといえば弁証法だけいただいて、ヘーゲルの当時の立憲君主制に合わせた法哲学を大っぴらに批判することから知識人達に人気を博してデカくなっていったものだ。日本の神道が、道教から礼拝作法だけいただいて神様はこちらにもういますので、と取捨したのと似ている。漫画グラップラー刃牙にも出てきたが、ボクシングで言う、スピードを落とさず脂肪(ファット)をともなわず、筋肉(マッスル)とパワーだけを神からそっくり頂く…そんな感じ。そんなマルクスはイベンダー・ホリフィールドみたいな思想界のチャンピオンになった。
清沢満之もヘーゲル哲学により、他力を損なわず、自力聖道門をともなわず、弁証法と無限概念だけをヘーゲルからそっくり頂き…真宗を中興することに成功して大谷大学まで作った。そういうところはマルクスに似たところある。
真宗大谷派には昔いたこともあり。谷大の人はヘーゲルからはじめてマルクスにいく人も多いのかもしれない。
ただ、気になったのは『宗教哲学骸骨』の〈無限〉の解釈と、ヘーゲルの本来の哲学の〈無限〉の解釈が違うような気がする。無限者が阿弥陀仏になってるところに清沢思想の特異性があるんだけれども。
あと、ヘーゲル哲学でかなり重要な「悪無限」の概念がどこにも書いてない。「真無限」との違いも書いてない。私なんかは「悪無限」は六道輪廻という読み方をしてたので。これはまた今度書くかもしれない。