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二僧巻簾

無門関 第二十六則 二僧巻簾

清涼の大法眼、因みに僧齋前に上參す。眼、手を以て簾を指す。時に二僧有り、同じく去って簾を巻く。眼曰く、「一得一失。」

現代語訳)   清涼院の大法眼和尚は、僧が食事前に参禅した時、黙って簾を指さした。その時いた二人の僧は揃って簾の所まで行き、巻き上げた。

大法眼和尚曰く

「一人はよし。一人は駄目だ」

無門曰く、「且く道え、是れ誰か得、誰か失。若し者、裏に向って一隻眼を著け得ば、便ち清涼國師敗闕の處を知らん。是の如くなりと然雖も、切に忌む得失、裏に向って商量することを。」

頌に曰く、

巻起すれば明明として太空に徹す、太空すら猶お未だ吾宗に合わず。

爭でか似かん空より都べて放下して、綿綿密密、風を通ぜざらんには。

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私は天台寺門宗の一僧侶ですが教育機関では天台教学もしっかりと学んでなく、立正大学日蓮法華経を、中央仏教学院で真宗理論を学びました。その後、法務員やってた寺はなぜかお東でしたけどね。つまり相反するものを止揚しようとしたのですが。結局、天台宗に還るという選択をして今の道にいます。なので、私は禅に関しては専門でないので、詳しくは申せませんが。

ただ、私見を申させていただくならば…二人の僧について、名と色を表しているのかなと思い考えを巡らせていると、二種回向が頭にチラついてしまったんですね。ここから私の見解ができました。

ここで言われた「簾」には二種類の「簾」があると思うのです。それが二人の僧に表されている。

ひとつは、仏前や内陣にかかる「御簾」。金翅鳥院のお内陣前にもかかってるあの御簾です。こちらの簾を思い浮かべる人は往相、往生浄土の相状。参禅するので、意識の向く方向としては内陣の御簾を巻き上げて、ご本尊をご開帳して参禅すべきと思います。とはいえ参禅は華水供や護摩と違いますから、何とも言えませんが、やはり意識の内奥の御簾を巻き上げてご本尊である仏性を見るのが、見性ということだと思います。

もうひとつは、部屋から外にかかっている只の「簾」。こちらが還相。つまり還来穢国です。簾を巻き上げれば、明るい青空や、寺の外の景色が見れます、何よりも外に出れてしまいます。しかし、頓悟禅のノリを知っていればこちらの簾を巻き上げるのも、是であるように思えます。つまり、彼はいつのまにか、瞬間、大悟したのだと。彼は成仏したのだから、仏のほうから簾を巻き上げて、外の世界へ救いに出かけていく。もう、お堂は後にしてしまうのです。

前者は簾を外から見て、後者は内から見ています。

これはどちらの簾を選ぶべきなのか、悟りの得失で言うならば、外への只の簾を選んだほうが「得」だと思います。わかったのなら出て行け、というのが宗風ですから。しかし、仏前の御簾を選んだ人も、未だ阿羅漢果は得ていないというだけで、「失」というのは言い過ぎではないか、とも思います。私はこのようにローシャッハテストのように、この公案を捉えてしまいましたが、あくまで門外漢なのでご容赦ください。お叱り、ご意見等はコメント欄まで。




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