以下の内容はhttps://ebi76.hatenablog.com/entry/2025/02/24/191410より取得しました。


般若心経の真相

舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減…

舎利子よ、あらゆる存在は空なる相であり、生じることもなければ滅することもない、穢れることもなければ浄くなることもない、増えることもなければ減ることもない…

なので、昔から私はこのように理解していた。巷に流布している本も、同様の理解を示したものが多い。だがしかし…それは間違っていたようだ。

般若心経は古来テキストの主要部分の一部が鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜経』(大品般若経)からの抽出文そのものであり、また、あまりに有名な龍樹の大智度論は『摩訶般若波羅蜜経』(大品般若経)の注釈書であるため、般若心経をもっとも理解しているのは龍樹であろう。ので、あるとき龍樹の『中論』を勉強のため読んでみようと思い、頁を開いた。

『中論偈』第 24「聖なる真理(聖諦)の考察」章の20詩を読んで気がついた。

・もしもこのすべてが、不-空aśūnyam〉であるなら、生じることもなく、滅することもない。[空を批判する]君にとっては、四種の聖なる真理が無であることになってしまう。

〈yady aśūnyam idaṁ sarvam udayo nāsti na vyayaḣ /

caturṅ ām āryasatyānām abhāvas te prasajyate//〉

原文のa-śūnyamと否定形になっているところに留意してほしい。ちなみに、四種の聖なる真理が無であることとは{無苦集滅道}のことである。

この詩句は反論者による下記の空批判に答えたものである。

・もしもこのすべてが空〈śūnyam〉であるなら、生じることもなく、滅することもない。[空を説く]君(龍樹)にとっては、四種の聖なる真理(四聖諦)が無であることになってしまう。

〈yadi śūnyam idaṁ sarvam udayo nāsti na vyayaḣ / caturṅ ām āryasatyānām abhāvas te prasajyate//〉

しかし、冒頭の私の理解は、後者の龍樹の反論者の理屈で般若心経を読んではいないだろうか?空であり無なので不生不滅不垢不浄不増不減なのだ、と理解していた。全ては空であるので無苦集滅道と理解していた。

しかし、龍樹は〈空でない場合〉に生じることもなく、滅することもない、[空を批判する]君にとっては、四種の聖なる真理が無であることになってしまう、と言っているのだ。

つまり、龍樹ふうの読み方をすれば

舎利子よ、あらゆる存在は〈空なる相でなかったならば〉生じることもなければ滅することもない、穢れることもなければ浄くなることもない、増えることもなければ減ることもない…空なる相でなかったならば〉無苦集滅道である…という理解が正しいのである。〈空なる相でなかったならば〉自性になってしまうから。

これは後の是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無所得故/まで同じく〈空なる相でなかったならば〉がそうなる、ということだろう。これにより空はそのまま縁起であることが了解される。

aśūnyam〈a〉ひとつで全てはひっくり返ってしまった。おそるべきa字である。

なお、この解釈は東京大学名誉教授の斎藤明先生のレポートを漁って読んでいて気づきました。ありがとうございます、南無阿弥陀仏(拝。




以上の内容はhttps://ebi76.hatenablog.com/entry/2025/02/24/191410より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14