
バラモンはヴェーダの戒律に沿って生き、クシャトリヤは武術の自己訓練、正しい行為に沿って生き、ヴァイシャは金銭的欲望に従って生き、スードラは感覚的欲望に従って生きるとされた。これは、牛の〈牛性〉と同じく普遍的性質であり、何度生まれ変わっても、スードラのスードラ的性質は変わらないという思想。
当時のバラモン教の教えは、輪廻しても同じカースト階級に生まれる、というものだったことは書いたが、更に下の階級もあった。不可触民パーリヤ、いわゆるダリットだ。奴隷階級のスードラ、女性、さらにはその下のダリットらアウトカーストの人々は、一回しか生まれない一生族〈エーカジャ〉とされた。虫ケラや家畜と同じようなもの、として扱われた。ダリットの仕事は糞便処理に関わるものだ。子々孫々それに限定される、糞尿地獄だ。インドのカースト因習の闇は想像を絶するものがある。バラモンの設定したカーストに反抗すらならないまま、民衆の心の暗愚のため、例えばカーストのさらに細分化されたジャーティというものがあり、ジャーティの異なる層で恋愛をしたものなどは一族の名誉のために殺された。また、ダリットが上位カーストの前で食事をしたらリンチされ殺される。ダリットが井戸を掘ったら槍で串刺しにされ殺される、上位カースト男性の気晴らしでダリットの少女たちがレイプされ死体はよく木に吊るされていたらしい。これらの残酷、陰惨な風習は現代でも続いているようだ。
エーカジャではないカースト、バラモン、クシャトリア、ヴァイシャなどの階級の男性は、バラモン教を熱心に信仰し、徳を積むことで、次の人生では上位のカーストに生まれ変われることが稀にあるとされた。カースト最高位のバラモン階級の男性のみがヴェーダの祭祀を学び、マントラを唱え、再生のない永遠まで到達するとされた。それが解脱とされた。バラモン教の解脱は梵天との合一であり、天界の永遠のことだった。つまりは、アートマンがブラフマンと合一することである〈梵我一如〉。バラモン教は、カースト制度を利用して支配体制を確立した。
しかし、ブッダはカーストを否定し「誰でも修行すれば解脱できる」とした。アートマンを否定し「諸法無我」とした。仏教は生物の欲求、血統や階級の損得によって形成されたカーストを真っ向から否定する立場であり、支配階級のバラモン教と激しい思想的対立、さらには弾圧を受けて論戦するものとなった。
その論戦のうち、ダルマキールティとクマーリラの論戦は、メインイベントのような大論戦。そしてその過程でダルマキールティは〈カースト批判〉の論書を発表している。
この書は『金剛針論』という。漢訳版ではダルマキールティか作者とされているが、梵語版では馬鳴(アシュヴァゴーシャ)の作とも言われている。カースト制度(ヴァルナ制度)を批判している。『バラモン階級がバラモンである理由の否定』が中々に傑作である。(続く)