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ダルマキールティの続き

本年はお世話になりました。

年越しにすごく難しい話しをして申し訳ないですが、来年からはもう少し咀嚼、反芻して普通の言葉として言えるようにしたいです。

クマーリラは普遍的な〈牛〉が、特殊…つまり個別の〈牛〉に顕現すると考えてました。形而上の〈牛〉から地上の個々の牛へ顕現、という考えに近いと思います。

しかし、法称(ダルマキールティ)は〈個別の牛〉しか存在しないと考えました。個々の自相しか存在しないが、それに対する分別知は作用するためにアポーハ〈排除〉が成立する。分別知の対象として認識内形象という、外界の個々の牛の形象記憶を排除、分別(アポーハ)するのだ、としました。認識内の形象は分別知の手段というわけですね。

それによりAIのように《この中から牛を選びなさい》のような分別が成立する…ただ、この分別知は無始以来の潜在意識の堆積による《錯誤》だとするんですね。

ここで餓鬼にとっての煮えたマグマは、天人にとっては清らかな水、という仏教特有の認識論が出てきます。カルマの堆積による《錯誤》が世界をつくっている。




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