以前に当ブログで紹介した本Men Trapped In Men's Bodiesの著者であるアン・A・ローレンス博士が今年(2024年)後半になって2つの新しい小論を公開しました。この投稿では、そのうちのひとつで“Autogynephilia at 35”と題された小論の日本語訳を掲載します。翻訳は当ブログの管理人(私)によるものです。掲載にあたって、私が直接ローレンス博士に確認を取り、了承をいただきました。ローレンス博士には重ねて感謝申し上げます。ありがとうございました。
ローレンス博士はこの小論で、トランスジェンダーに肯定的な運動transgender positive movementとトランスジェンダーに批判的な運動transgender critical movementのあいだで起こっているオートガイネフィリアをめぐる論争のなかで、自らがオートガイネフィリアを経験し、オートガイネフィリアの学術的、臨床的価値を真剣に受け止める人々が、両陣営から悪魔のように扱われてしまう現状に対する懸念を表明しています。私もまた同様の事態を懸念しており、それについて的確に記述されたこの小論の翻訳を公開したいと考えました。
英語原文のpdfファイルは下記のローレンス博士のウェブサイトで公開されています。
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35歳のオートガイネフィリア
Autogynephilia at 35
アン・A・ローレンス、医学博士、博士
Anne A. Lawrence, MD, PhD
自分自身を女性として考えたり、イメージしたりすることで性的に興奮する傾向をもつ男性たちは、疑いの余地なく、人間の歴史を通して存在していたし、150年以上にわたって性科学者たちによって記述され、研究もされてきたが、彼らが経験している普通でないエロティックな関心は、心理学者のレイ・ブランチャードがオートガイネフィリアautogynephiliaという用語を提唱する1989年になるまで、科学的な名前をつけられることがなかった。私はいくつかの論文でその用語の起源と意味について議論してきた(例えば、Lawrence 2013, 2017)。当初、オートガイネフィリア概念は性別違和の領域で働く専門家だけに知られており、論争的なものとは考えられていなかったが、それに続く数十年間でこの状況は変化してしまう。純粋に記述的な科学的用語であるオートガイネフィリアが、真偽を問われ、論争を引き起こすようなトピックとなってしまったのだ。この小論では、35歳になったオートガイネフィリア概念の地位と重要性について検討する。
オートガイネフィリアが指し示す現象、すなわち、男性が自分自身が女性であるという考えやイメージによって性的に興奮する傾向は、ほとんど世界中で存在することが知られている。ささいとは言えない数の男性たち、3%あるいはそれ以上に相当する人々が(Lawrence 2009)このパターンのエロティックな関心を報告しているが、その強度や排他性の程度はさまざまである。性別違和を抱える男性たちのなかには、オートガイネフィリアを自認し、この用語が自身の感覚や経験を正確に記述していると主張している人々もいる(Lawrence 2013)。トランスジェンダーの人々の大きなサブグループが経験していることを周縁化したり消去したりすることなしには、彼らの説明を無視することはできない。それにもかかわらず、熱心に取り組んでいるトランスジェンダーの活動家たちはオートガイネフィリア概念を過小評価するか、徹底的に拒否している。その用語自体、それに関連するトランスジェンダーの類型論、そして、それがしばしば男性=から=女性=へのmale-to-female性別移行と性の再割当sex reassignmentの動機となっているとする理論とは、今やトランスジェンダーに肯定的な解説者たちによって、頻繁に「誤りであることが証明されている」あるいは「虚偽であることが明らかになっている」と説明されているのだ。もっとも規模が大きく、もっとも影響力があるオンライン百科事典のウィキペディアにはオートガイネフィリアについての記述項目が含まれておらず、代わりに「ブランチャードの性転換症類型論Blanchard's transsexualism typology」にリダイレクトするようになっている。そこにはその用語がたしかに記載されているのだが。この不可解な脱落が、この用語が真偽を問われる状況にあることを反映していることは疑いの余地がない。オートガイネフィリアは今やいたるところで「その名を言おうとしない愛」としての男性同性愛に取って代わったのだ。
オートガイネフィリアという用語はトランスジェンダーに肯定的な界隈では有害なものになってしまった。何人かの著者たちがそれに対するより受け入れられやすい婉曲表現を提唱しているほどである。学術文献に見られるそのような例のひとつが女性身体化空想female embodiment fantasiesである。このような代わりの釈明は、オートガイネフィリアという用語の人気のなさだけでなく、懐疑的な人々でさえこの現象自体の存在と妥当性を否認することができないことも証言している。トランスジェンダーに肯定的なコミュニティのメンバーたちのなかに、オートガイネフィリア概念について事実と異なる説明をし、それが「虚偽であることを明らかにする」ことについて、これほど関心をもっている人々がいるのはなぜなのか? それも、多くのトランスジェンダーの人々がそれを自認しているという事実にもかかわらずである。もっとも熱心な批判者たちは、彼ら自身がオートガイネフィリアのプロフィールに当てはまるように見えるので、おそらくは自分がやっとの思いで手に入れたアイデンティティとその概念が共存不可能であると考えたのだろう。他の人々は自らの団結を示すことに熱心な支持者たちであり、そのなかには変態のコミュニティの著名なメンバーたちも数人含まれている。
彼らの反対にもかかわらず、オートガイネフィリア概念は専門的文献のなかでは認められつづけている。この用語は合衆国国立医学図書のなかに項目があり、アメリカ精神医学のバイブルである、最新版の『精神疾患の診断・統計マニュアル』(DSM-5-TR, 2022)にも記載がある。メンタルヘルスの権威が、オートガイネフィリアは虚偽であることが明らかになった、あるいは意味のない概念である、と考えていないことは明らかである。しかしこの用語は、DSM-5-TRのなかでは異性装フェティシズムの診断のための指標としてしか言及されておらず、性別違和の関連する特徴としてではない。このことは、オートガイネフィリアを男性における性同一性障害に関連する特徴として記述していたDSM-IV-TRからの不運な後退を示している。
今日、オートガイネフィリアについて書いたり話したりしたいともっとも強く思っている人々はトランスジェンダーに批判的な陣営のメンバーたちである。彼らのなかでもっとも影響力のある人のひとりであるヘレン・ジョイスは、2021年の彼女の著書『トランス』Transのひとつの章全体をこの話題に当て、いくつかのオンライン・インタビューでそれについて話している。トランスジェンダーに批判的な研究者のなかには、急性発症性別違和Rapid Onset Gender Dysphoria(ROGD)についての論文を出版し、そのなかで性別違和を抱える若者たちの一部をオートガイネフィリアであると述べている人々もいるし、オンラインで集めたサンプルからオートガイネフィリアの強度と罹患率を計測しようとしている人々もいる。これらの研究者たちはこの概念を広めるインタビューをしばしば行っているが、そこには思いやりや共感がともなっていない。オートガイネフィリアを重要でありながら正当に評価されていない概念と考える私たちのような人々にとって、彼らの注目はある面では助けになり、敵からの安心として感じられるが、彼らの嘲笑的で扇情的な態度は、一般的ではないとはいえ本質的に無害な性指向を経験している男性のトランスジェンダーの人々のグループのひとつを悪魔のように扱うことに与するものだ。
トランスジェンダーに批判的な運動のメンバーたちのこれほど多くが、オートガイネフィリアを広めて事実と異なる説明をすることにこれほどの関心を寄せるのはなぜなのだろうか? その理由のひとつは、多くのフェミニストたちが(そしてそれ以外の人々も)、もっともなことではあるが、女を自認する性転換症者やトランスジェンダーの男性が女性専用スペースに入る権利を与えられたと感じ、不適切にふるまうことに憤慨していることである。そのような不適切なふるまいのなかには、女性の競技スポーツへの参加を要求することが含まれる。批判者たちはこれらの侵入者たちがみなオートガイネフィリア者であると信じている。この点について、おそらく彼らは間違ってはいないのだが、オートガイネフィリアが懸念事項とされている理由は明らかではない。というのも、女性専用スペースにおける不適切なふるまいが受け入れられないものであることに、その加害者の性指向は関係ないはずである。しかし、オートガイネフィリアは男性のパラフィリアであり、これらの侵犯者たちがオートガイネフィリア者であると信じられてしまうなら、〔彼らが男性のパラフィリアをもっているなら彼らは男であると考えられるため〕このことは、彼らは女性とみなされるに値し、女性専用スペースに入る権利を与えられているとする考えを傷つけるのに十分である。そのうえ、これらの侵略者たちが女性専用スペースを自らのオートガイネフィリア的なふるまいについての空想を実演するためのアリーナとして利用しているとする指摘によって、彼らは下劣で不快な存在のように見えてしまう。たとえ彼らのあからさまなふるまいが反対する必要のないものである場合であってもそうなのだ。第二の理由は、トランスジェンダーに批判的な運動のなかの社会的保守主義者たちの多くが、単に、ジェンダー非順応を人前での提示することはどんなものであれ軽蔑している、ということだ。女であると自認している、あるいは女として生活しているオートガイネフィリアをもつ人々は、当人がそうならないように懸命に努力していても、外見や行動においてしばしばジェンダー非順応的である。いくらか類似するドラァグ・クィーンのように、彼らは容易に嘲笑と軽蔑の対象になってしまう。したがって、オートガイネフィリアを広めて事実と異なる説明をすることは、トランスジェンダーに対する排除と周縁化を促進し、明言されたわけではなくとも明らかなトランスジェンダーに批判的な運動のアジェンダに与することになる。そのアジェンダとは、あらゆる人に対して、あらゆる国で、あらゆる状況で、年齢、診断、個人の選好にかかわらず、性別移行や性の再割当を制限あるいは犯罪化する、というものだ。
現在、オートガイネフィリア概念は性別違和を抱える男性たちに対する臨床実践において何らかの重要性があるのだろうか? 明らかなように、今のところ〔重要性は〕ほとんどない。その例外は、クライアント自身がその用語を使用するとき、ジェンダー横断的性欲が無視できないほど顕著な臨床的懸念事項となっているとき、あるいは、両親や配偶者が自身の男性的な子供やパートナーの性別違和を理解しようとしているときである。性別違和を抱えるクライアントを扱う臨床家たちのほとんどは、この概念を詳しく知らないか、虚偽であることが明らかだとかトランス差別的だとして拒否しているか、あるいは、それほど重要であるとは考えていない。オートガイネフィリアは現行のDSMにおいて性別違和の診断基準として言及あるいは認識されているわけではなく、認められている治療手順のいずれにおいても、若者や成人に対して思春期遮断薬や女性化ホルモンを処方するか差し控えるのか決定する際の検討事項とはなっていない。したがって、今のところその臨床への適応可能性はかなり限定的であるように見える。
現在、オートガイネフィリア概念には性別違和を抱える男性に対する臨床的あるいは実験的研究における何らかの重要性があるだろうか? その状況が近いうちに変わろうとしているとはいえ、今のところその重要性は小さい。トランスジェンダーに肯定的な研究者たちはオートガイネフィリアを研究したがらない傾向にあった。ほとんどはその現象は意味のあるもの、あるいは重要なものとみなしておらず、数少ない例外的な人々はこの概念がそれに少しでも注目するだけで容赦なく攻撃されてしまうほどに有害であることに気づいている。それにもかかわらず、数人のトランスジェンダーに肯定的で勇気ある研究者たちが、ホルモン療法を受けている若者や若年成人でオートガイネフィリアを抱えているケースの臨床症例報告を出版するために準備を進めている。先に言及したとおり、トランスジェンダーに批判的な研究者たちはオンライン調査のなかでオートガイネフィリアについて質問しているが、それは臨床研究として行われているわけではない。というのもの、おそらくそのほとんどが臨床に携わる資格や経験をもちあわせていないからだ。いわゆるROGDを抱える若者たちについての彼らの研究はオートガイネフィリアを抱えるサブグループを特定しているが、この発見には問題がある。すべての性指向と同様に、オートガイネフィリアは人生の早期に発達するが、ときに青年期になるまで注目されない。オートガイネフィリアを抱える若者について、大人の情報提供者たちにとって急性と考えられる性別違和が反映しているのは内的な性指向の表面化であり、社会的な感染やいわゆる「シッシーポルノ」を原因とするものではありそうにない。このことがその循環定義(ROGDは両親が急性発症と考えるGDである)を指摘するによってROGD概念全体を問いに付すことになるのだが、この問題は、オートガイネフィリアという話題に触れようとしないトランスジェンダーに肯定的な解説者によっても、自分たちの理論の限界を認めたくないトランスジェンダーに批判的な人々によっても、無視されつづけている。今のところ、オートガイネフィリアについての研究のほとんどは、妥当性に問題のあるオンライン研究によって制限されているか、イデオロギー的正統性が知的誠実さに勝ってしまっているような、トランスジェンダーに批判的な研究者たちによって行われてる。
オートガイネフィリア概念には価値があると考え、それがもっと広く知られ、よりよく認知されることを望んでいる、数少ないトランスジェンダーに肯定的な臨床家や研究者にとって有用な戦略があるとすれば、それはどのようなものだろうか?第一に、オートガイネフィリアの存在と重要性を認識しそこなうことは、自分自身がオートガイネフィリアであると認識しているトランスジェンダーの人々、なかでも自分のエロティックな好みをオープンに表明することにためらいを感じている人々の生きた経験を周縁化し、否認するものであると、私たちは自分の同僚たちに、気づかせるべきである。第二に、オートガイネフィリアという現象に取り組むことを怠れば、トランスジェンダーに批判的な運動による不正確な意見表明に対抗する能力を制限することになることを私たちは強調すべきである。トランスジェンダーに肯定的な運動に参加する人々の多くがオートガイネフィリアを無視したいのかもしれないが、反対派はそうではない。最後に、深刻な性別違和を抱える若者に、なかでもオートガイネフィリアを抱える人々に、思春期遮断薬やジェンダー横断的ホルモン療法cross-gender hormone therapyの処方がより制限を受けない形で可能になるよう擁護すべきである。そのような人々が〔性の再割当の〕最良の候補者になることはほぼ確かである。この医学的治療は、オートガイネフィリアを抱える若者たちの苦痛を大きく減少さ、成人してからの彼らの生活の質を向上させる可能性をもっている。
オートガイネフィリア概念にはどのような将来が待ち受けているのだろうか? 短期的に見れば、それは不人気で、誤解され、聡明で熱心な擁護は得られないままだろう。トランスジェンダーに肯定的な運動のメンバーで影響力のある人々の多くはその存在を否認し、それについて事実と異なる説明をし、それを信じる人々を悪魔のように扱うだろう。トランスジェンダーに批判的な運動のメンバーたちはその存在を広め、それについて事実と異なる説明をし、それを経験している人々を悪魔のように扱うだろう。トランスジェンダーに批判的な運動は聖なる同盟などではなく、主に悲嘆にくれるフェミニストと社会的に保守的であらゆる形態のジェンダー多様性に対する反対派で構成されている。その影響は、内的な分裂と西欧社会の自由化が進むために、最終的には衰退していくだろう。先に言及したとおり、オートガイネフィリア概念を拒否しているトランスジェンダーに肯定的な運動のメンバーたちもまた聖なる同盟ではなく、主にオートガイネフィリアを抱えているが自分自身の状態を受け入れられない学者たち、彼らのポリティカリー・コレクトな支持者たち、そして他のパラフィリアを抱える何人かの個人たちで構成されている。この同盟はより持続する力があることが明らかになるだろうが、おそらくは、男性のエロティックな指向を客観的に測定し、カテゴライズするテクノロジーの将来の発展が、オートガイネフィリアの存在と特徴を提示してわかりやすい疑念は乗り越えられ、その同盟の解体を引き起こすだろう。それでも、オートガイネフィリアを抱えながらも現実から目をそらしている人々が科学的根拠を無視したがっていることを、私たちは過小評価すべきではない。
長期的に見れば、おそらくは次の数十年のあいだに、オートガイネフィリア概念は自由な社会の十分に教育を受けた大人たちの多くによって認識され、受け入れられるだろう。キャッチーな省略表記のAGPがあるが、名づけられるものについてなら話すことができる。自由な社会は、ついにはAGPが重要で無視できないことに気づくだろう。AGPのようなパラフィリア的性指向は、それが認められ、理解され、文化的な想定と社会的な政策を通じて取り組まれるようにならなければ問題となってしまうほどに強力で、容赦なく現れてくる。AGPがより広く認知され、その意味がよりよく理解されれば、AGPを抱える人々はより質の良い生活を享受できるかもしれないし、他人の生活の質に害を与えるような、軽率で社会的に混乱を生じるような選択を回避できるかもしれない。現代の教育システムは中学校入学前の子供たちに別の非典型的な性指向、すなわち同性愛について教えることの重要性を理解している。というのも、それを無視する代償はあまりに大きいのだ。AGPは必然的にカリキュラムの一部になるだろう。AGPはある程度よく見られるものなので、それについて子供たちとその親を教育することは重大な帰結をもたらすだろう。AGPと深刻な性別違和を抱える若者が子供時代の中期に特定されれば、十代の早期に思春期遮断薬と女性化ホルモンの提供を受けることができ、彼らの望む身体の発達と大人としてより快適に世界をわたっていくことが可能になる。より深刻でない性別違和がある人々にとっては、AGPが変えることのできない性指向であり、パートナーを選んだり、結婚したり、子供の父親となったりする際に重要な検討事項とすべきであると理解することが役立ちうる。おそらく、それに関連して自殺や自傷、薬物乱用、そして安全でない性行為は減少するだろう。自由な社会は、もっともよく見られる非典型的な性指向である同性愛に対して、こような啓発的なアプローチを取ってきたし、その恩恵は計り知れない。次はAGPの番である。
(2024年10月)
参考文献抄
- Lawrence, A. A. (2009). Erotic target location errors: An underappreciated paraphilic dimension. Journal of Sex Research, 46(2-3), 194-215.
- Lawrence, A. A. (2013). Men trapped in men's bodies: Narratives of autogynephilic transsexualism. New York, NY: Springer.
- Lawrence, A. A. (2017). Autogynephilia and the typology of male-to-female transsexualism: Concepts and controversies. European Psychologist, 22(1), 39-54.
これらの参考文献は以下でダウンロード可能