例によって益体もないメモ。
- 裁判官は専門的な知識をどうこうするよりも、自分が、目の前の事実を判断を下すうえで十分理解しているかどうかをもっと虚心坦懐に疑い、疑義があれば、その旨を適時に示せることの方が大事なのではないか。万事専門化する中でいちいち個別の分野の専門家に付き合うのは無理だろう。当事者主義からすればそうなるのではないかと思うのだが。
- 修習の内容のうち、どこの部分が有用か、というのはその後の自身の進路次第というところもあり、かつ、修習後の進路が修習時点で100%確定するということが想定しがたい以上、修習生視点で、内容が有用と見えるかどうかだけで、何らかの判断をしようとするのは基本的には無理があるのではなかろうか。
- 「事実」なるものの胡散臭さは認識しておく方が良いと感じる。声高にそれを振りかざす人間の胡散臭さも含めて*1。「事実」が胡散臭いものであるからこそ、争いのある「事実」の認定のために訴訟手続があるわけで。もちろんそこで認定される「事実」も絶対の真実ではなく、訴訟の場に出された情報に基づき、その範囲で認められた、ある種相対的なものでしかないのだが。
*1:「事実」を直視せよ、という論者の大半は、自信に都合のよい「事実」に隷属せよということを、美辞麗句の衣に包んで言っているに過ぎないと感じる。