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保守とは?リベラルとは?認知力の違いは?

カテゴリー:社会・政治・時事問題

はじめに

いま、ネット上では、保守、リベラル、右翼、左翼という言葉が飛び交い、批判というより貶し合戦になっているように思います。形勢としてはリベラル、左翼嫌いが支配的なようです(これは SNS の特性の由来する結果でもある)。よくみると、これらの言葉については、様々な解釈があって混乱している印象があります。

保守という言葉についてのメディアやネット上の意見を集約すると、「政治的な文脈での保守」、「社会的あるいは経済的な意味での保守」、「気質上の保守」という面からの考え方があるようです。一方、リベラルという言葉についても、同様に多義的に用いられているように思います。

その一つの象徴が、立憲民主党枝野幸男氏の主張です。彼は政治的立ち位置から、自分は「保守リベラル」と述べています。同時に「革新」という言葉の解釈も語っています(以下動画)。

www.youtube.com同様に、政治学者の中島岳志氏は、リベラルと保守は、寛容や対話を重んじる価値観を共有していて親和性が高いと論じています。そして、自らの政治的立場を「リベラル保守」と表明しています [1, 2]

正直、私は、この「保守リベラル」「リベラル保守」という言い方にはすこぶる紛らわしさを感じ、戸惑います。保守という言葉にポジティヴな意味合いを込めながら「政治的保守は、リベラルはこうなんだ」と語る姿勢には、ややもすると上から目線の主張に聞こえてしまいます。立憲の野田佳彦代表は、自ら「中道」という言葉を使いましたが、同様な曖昧さと傲慢さも感じます。

私が保守リベラルや中道にややこしさを感じるのは、学術分野における論文に目を通してみると、保守(concervative)リベラル(liberalの捉え方はもっと単純明快であり、そこから両者の思考性にはどのような違いがあるのかという課題に取り組んでいるからです。学術分野の保守、リベラルの考え方は後述する AI の回答に近く、そしてそれらは、人間は生まれつき保守的であるという生物学的特質を起点にしています。

1. 保守、リベラルの定義と一般的解釈

私は、まず、保守の定義について AI  に訊いてみました。そうしたら、「保守」とは、従来の伝統・習慣・制度を重んじ、その考え方に基づいて急激な改革や革新に反対する思想を指し、社会や組織の信頼と仕組みを壊さずに未来へつなぎ直していく姿勢、と回答がきました。フランス革命を批判したエドマンド・バークが思想的源流とされています。

保守主義には、いくつかのカテゴリーがあり、伝統や文化、制度を重んじる伝統保守主義国益や国家への帰属意識を重視する国家保守主義、そして現代においては、資本主義下の経済の自由を維持しようとする新自由主義の立場を指すこともあります。

新自由主義の政権がとる政策は、いわゆる小さな政府の実現です。公共サービスや公共事業の削減、公営事業の民営化、規制緩和による競争促進、労働者保護の弱体化、企業や高所得者にとくに有利な減税などです。これによって経済・社会を活性化していくという立場です。

同様にリベラルについて AI に訊いたところ、「リベラル」は、基本的に個人の自由を最も重要な価値とみなし、多様性を尊重する思想であり、社会の規律や習慣、権威にとらわれず、自由であることを意味する、という回答がきました。

このような保守およびリベラルに関する AI の回答は概ね納得できるものでしょう。となれば、差し詰め、保守リベラルが「中道」ということになるのでしょうか?

リベラルは、欧州においては自由主義リベラリズム)の立場を指し、米国においては、1930 年代以降の民主党の政治思想を指すことが多いです。日本では保守同様、リベラルという言葉が多義的に使われ、混乱させられます。それは、上述した枝野氏の言葉に象徴されます。

いわゆる 55 年体制下では、与党(自民) vs. 野党(社会、共産)という対立構図は、「保守 vs. 革新」と称されていました。リベラルという言葉は、自民党内のハト派保守本流)を指して呼ばれることもありました。しかし、1990 年代以降は、自民 vs 野党の対立構図を指して「保守 vs. リベラル」で表現されるようになりました。

この背景として、自民党保守主義が従来の文化や慣習、経済・政治体制を維持しようとするのに対し、日本社会党日本共産党が、それぞれ社会主義及び共産主義を目指すという革新主義の立場をとっていたことがあります。しかし、政界再編成が繰り返される中で、共産党以外の野党の革新主義の意味合いが薄まり、特に 2000 年以降、むしろ自民党と同等の保守性をもつ野党の出現が、保守の解釈に大きく影響しています。

リベラルは、伝統や既存の制度を重視する「保守」と対比されることが多いです。しかし、前述の枝野氏や中島氏の主張にもあるように、両者は必ずしも対立する概念ではなく、異なる次元の話であると指摘されることもあります [3]。近年、日本では「リベラル」という言葉が特定の政治勢力を指すことが多く、その定義の曖昧さから、議論がずれやすいという課題も指摘されています。

保守、リベラルを経済体制で分けるべきという経済的保守主義の主張 [4]は、曖昧さを解消するには都合がよいです。つまり資本主義の発展型である新自由主義経済を選択するか、社会主義的考え方を導入するかという選択です。しかし、生物学的気質に由来する保守性の概念はこの区分だけだと薄まることになり、本質的議論から逸れるように思います。

東浩紀 [3] が言う、連帯の範囲を仲間同士に求めるか、普遍的なものとして広げるかが、それぞれ保守とリベラルを分ける意義だというのも理解できます。しかし、そこから、かつての左右イデオロギー対立はもはや機能しておらず、いまの日本では、むしろ保守勢力こそが社会制度の改革を進めていて、リベラルはしばしば「保守的」な主張をしている、と言う指摘は飛躍しすぎでしょう。

政治的な文脈では、保守派が右翼リベラル、急進・改革派が左翼と呼ばれることがあります。右翼とは、この言葉はフランス革命時に議会の右側に保守派が着席したことに由来しますが、彼らは従来の秩序や王政の維持を主張していました。左側に座った改革派が左翼ということになります。

ちなみに、極右は右翼の中でも特に過激な思想や行動を持つグループを指します。彼らは排外主義や民族主義権威主義的な傾向が強く、時には暴力的な手段を肯定することもあり、マキャヴェリズムの特徴が顕著です。

AI によれば、現代の日本では、自由民主党日本維新の会、国民民主党、日本保守党、参政党などが右翼的傾向を持つ政党として出てきます。これらの政党は、反共・右翼組織である勝共連合(旧統一教会)と多くの点で思想共有していますので、納得できます。ただし、右翼の定義は時代や国によって異なり、一概に分類することは難しいです。

2. 気質による保守とリベラル

動物は全て本能的に自己保守性を持ちます。未知の脅威、外敵に遭遇した場合、扁桃体で緊張、恐怖を感知し、外敵を排除、回避しようとします。

ヒトの場合も同様で、外敵、異質に対する排外的行動をとる保守的性質が生まれつき備わっています。ただ他の動物と決定的に異なることは、高度な社会生活を営み、コミュニケーション手段として言葉と文字を使い、テクノロジーを発達させ、種(species)内で経済的にかつ情報の上でもグローバル化していることです。基本的に敵対的行動(究極は戦争)を取る必要がなく、現代の高度社会ではむしろそれが脅威になります。

動物的な原始的保守気質は、子どもの時からの教育と体験を通じて知識とリテラシー、包摂性、寛容性、自由や多様性への理解を獲得していくことにより、徐々に緩和、解放されていきます。しかし、扁桃体の構造(大きさ)により、未知・異質に対する不安や恐怖の程度が異なり、したがって、大人になってからの保守的気質に大きな違いが出てくる、という仮説が提唱されています [5](これに対する批判的修正もある [6])。

生物学的な原始的保守気質からの解放度が、保守になるかリベラルになるかに分ける重要な要素であると考えられますが、実際はその解放度にグラデーションを生じるということになるでしょう(あくまでも保守かリベラルかは相対的)。思考の様式、学習による知識、体験の程度で大きく異なる可能性があります。

ただ、それらに扁桃体の構造に基づく神経生物学的特性やいわゆる「頭の良さ悪さ」(→頭が悪いと差別的、右翼的になる?-SNS による偏見の助長)が影響するとなると、リベラルにはなれない集団が必ず一定程度出てくるということになります。逆に、全ての人に保守気質の痕跡が残っているとすれば、脅威度が増せば、リベラルは保守に戻るということも考えられます(後述)。戦時下では全体主義になることを考えれば、それは容易に想像できます。

3. 認知力、思考性の違い

思考様式は多様な社会的態度の基盤となり、数多くの日常行動や政治に影響を及ぼす可能性があります。たとえば、直観的な傾向が強い人ほど宗教的・超常現象的な信念を抱きやすく、陰謀論や虚偽ニュースに騙されやすいと報告されています [7]。対照的に、よく考える人ほど、道徳的価値観や経済ゲームにおける協力行動と相関することが、多くの研究で示されています。

この分野の学術研究では、保守(右派、右翼)とリベラル(左派、左翼)を認知力や思考性で区分けし(場合によっては生物学的に)、その要因や思考メカニズムを解明しようとするのが課題であり、その意味ではこれらの言葉の意味は明快です(政治的な「保守リベラル」や「中道」という括りは出てこない)。Yilmaz & Isler [8] は、保守とリベラルとの認知力と思考性の違いについてわかりやすく解説しています。

多くの研究によれば、直感への依存は、政治への右翼的態度や保守的な信念と関連しているとされています。Van Berkel ら [9] は、保守主義の特徴である階層性(権威構造)への嗜好や不確実性回避(安定への依存)は直感的思考の産物と見なされる一方、寛容性や平等主義はより努力を要する思考を必要とする可能性があると主張しました。

Yilmaz & Saribay [10] は、一般論として、リベラル派は分析的傾向が強く、保守派は直感的傾向が強いと報告しました。その上で、左派(リベラル)と右派(保守)のイデオロギー的見解が対立する現代においては、分析的議論を用いて相手を説得しようとするよりも、より寛容であることが合意形成のより効果的な手段となり得るとしました。

既往研究のメタ分析によれば、リベラル派は平均的に保守派よりも内省的であると報告されています [11]。つまり、リベラル派は、直感的な保守派とは異なり、物事を客観的に多角的に捉え、自己理解を深める傾向が強いということです。

この傾向は、保守派がより明確で小さい集団(友人よりも家族、世界よりも国家、非人間よりも人間)に対する偏狭的選好を示すのと対照的に、リベラル派は普遍主義(特定集団よりも全人類に関心)を持つ傾向があることで実証されています [12]。保守派のこの偏狭性は、自動的に選好以外に対して排他的になりやすくなります。

では、なぜ保守派(右翼)はリベラル派(左翼)より直感的、偏狭的思考を好むのでしょうか? 結論から言うと、私たちのイデオロギー的差異は、部分的に認知プロセスに起因することがいくつかの研究で指摘されています。つまり、保守派は直感的思考を好むと言うより、それしかできないということです。

主要な学説では、知能は様々な左派的・リベラルな政治的信念と相関関係にあるとされています。これは知能が直接的に政治的見解を変える可能性がありますが、この関連性は社会経済的・環境的要因によって交絡または媒介されているかもしれません。

Edwards ら [13] は、多くの家族を対象に IQ、認知能力、学歴達成度、社会的リベラリズムの関係を調べました。その結果、家族の知能と学歴が高いほど社会的リベラリズム志向になり、低い権威主義性になることを予測しました。これは、社会経済的変数を調整した後でも有意になりました。

Edwards らの研究結果は、遺伝的に知能が高い傾向にあることが、左派的信念を引き起こすことを示唆しています(上図)。この研究は、頭が悪いと差別的、右翼的になるとした先行研究 [14] と照らし合わせると、結局、認知能力の違いがイデオロギーの差異を生むということになるかもしれません。

とはいえ、保守派とリベラル派の異なる認知様式や社会的態度は、緊張の高い状況や社会全体への脅威下では、差が小さくなることも可能性もあります。Bakker ら [15] は、脅威への曝露により、リベラル派は一時的に保守的で直感的、脅威に敏感な思考パターンを採用すること、既に脅威に敏感な保守派は、追加的な脅威下でも変化が小さいことを、行動パターンと脳活動の両方への反映で証明しました。

この事実は、認知される脅威が増すと社会全体が右翼化すること、全体主義になりやすいということを示しています。直観的思考は社会的保守主義と密接に関連していますが、この関係性は普遍的現象というより、むしろ保守派とリベラル派の分極が増した西洋文化あるいは民主主義先進国だからこそ目立つのかもしれません [8]

おわりに

これまでの研究が一概に示していることは、保守派(右派)とリベラル派(左派)とは思考性や脅威に対する認知的反応が異なるということです。前者は思考が直感的、偏狭的であり、脅威に敏感な思考パターンを示します。一方、後者は思考が内省的であり、曖昧さや新規性に対してより開かれており、脅威により抵抗性があります。

両派の思考性や脅威への感受性は、政治イデオロギーに強く反映されます。保守派は自国ファースト、排外主義になりやすく、リベラル派は人類全体や世界を考える普遍主義をとる傾向にあります。経済的には、前者が小さな政府で自己責任の政策(新自由主義)への選好を示すのに対し、後者はより大きな政府社会主義的な政策の導入を好むでしょう。

日本における保守とリベラルに関する混乱を見るにつけ、これらの学術的知見をベースに、両者を再考する必要があると個人的に考えます。そして、冒頭でも述べましたが、立憲の枝野氏が言う「保守リベラル」、野田氏が言う「中道」という、ややもすると上から目線の都合の良い括りとそれに付随する政治的主張のやり方には違和感を覚えるというか、非常に懸念しています。

なぜなら、彼らのやり方は、政治意識と知性の高い政治家が単に同様な層あるいはコアな支持者に解釈や政治的主張を投げかけているに過ぎないからであり、その他大勢の政治意識が様々な層への配慮に欠けると思われるからです。平たく言えば、頭が良くても悪くても、政治意識が高くても低くても有権者としての 1 票の価値は同じであり、そこへの向き合い方を間違うと次回の選挙で大きく票を失うリスクがあります。

リベラルと保守のイデオロギー的見解が対立する現代においては、分析的議論を用いて相手を説得しようとすることはあまり効果がないという指摘 [10] は示唆的です。リベラル政治家は保守的有権者に寛容であることが求められるでしょう。

極右政治家やポピュリストが発する単純メッセージ、ショート動画は、保守層、リベラル層に関わらず満遍なく届きます。一方で、リベラル政治家が説く「意識高い」政治話は実際の大票田の層(無党派、浮動票層)、あるいは直感的思考の人には理解されないのです。

いま SNS 上のリベラル攻撃が支配的ですが、まさにそれが認知性に基づく保守(右翼)の特質であり、政治的バイアスを生じるSNS の特質(→SNS における政治的バイアスとデジタル・ポピュリズム)でもあります。SNS の影響で若者の思考も直感的になっている傾向が見られますが、社会的に経済的に生活への脅威が増しているからこそとも言えるかもしれません。

引用文献

[1] 中島岳志: 「リベラル保守」宣言. 新潮文庫. 2015.12.23. 

[2] 塩倉裕: リベラルの逆は保守ではなくパターナル 中島岳志さんが問う「自由」. 朝日新聞デジタル. 2024.02.27. https://digital.asahi.com/articles/ASS2V54MFS2PUPQJ004.html

[3] 東浩紀:「リベラル知識人」はなぜ嫌われるのか?ノーベル賞作家が暴いた欺瞞とは. 2024.03.04. https://diamond.jp/articles/-/339335

[4] チェ・ソンホ: 日本人が以外と知らない「保守」と「リベラル」の意味.「リベラル」は考え方が進歩的?支持する経済体制で分けるのが本来の区分. 東洋経済オンライン. 2025.06.25.  https://toyokeizai.net/articles/-/883757?page=3

[5] Nam, H. H. et al.: Amygdala structure and the tendency to regard the social system as legitimate and desirable. Nat. Hum. Behav. 2, 133–138 (2018). https://doi.org/10.1038/s41562-017-0248-5

[6] Petalas, D. P. et al.: Is political ideology correlated with brain structure? A preregistered replication. iScience 27, 10110532 (2024). https://doi.org/10.1016/j.isci.2024.110532

[7] Bago, B. et al.: Fake news, fast and slow: Deliberation reduces belief in false (but not true) news headlines. J. Exp. Psychol. Gen. 149, 1608-1613 (2020). https://doi.org/10.1037/xge0000729

[8] Yilmaz, O. and Isler, O.: On Intuitive Conservatives and Reflective Liberals–How and why thinking styles are related to political beliefs. Psychol. Today Posted https://www.psychologytoday.com/us/blog/moral-intuitions/202005/intuitive-conservatives-and-reflective-liberals

[9] Van Berkel, L., et al.:. (2015). Hierarchy, dominance, and deliberation: Egalitarian values require mental effort. Person. Soc. Psychol. Bull. 41, 1207–1222 (2015). https://doi.org/10.1177/0146167215591961

[10] Yilmaz O, Saribay SA. An attempt to clarify the link between cognitive style and political ideology: A non-western replication and extension. Judg. Dec. Making. 11, 287-300 (2016). https://doi.org/10.1017/S1930-297500003119

[11] Jost, J. T. et al.: Getting closure on conservatism, or the politics of epistemic and existential motivation. In C. E. Kopetz & A. Fishbach (Eds.), The motivation-cognition interface: From the lab to the real world: A Festschrift in honor of Arie W. Kruglanski (pp. 56–87). 2018. New York, NY: Routledge. https://www.taylorfrancis.com/chapters/edit/10.4324/9781315171388-4/getting-closure-conservatism-politics-epistemic-existential-motivation-john-jost-joanna-sterling-chadly-stern

[12] Waytz, A. et al.: Ideological differences in the expanse of the moral circle. Nat. Commun. 10, 4389 (2019). https://doi.org/10.1038/s41467-019-12227-0

[13] Edwards, T. et al.: Predicting political beliefs with polygenic scores for cognitive performance and educational attainment. Inteligence 104, 101831 (2024). https://doi.org/10.1016/j.intell.2024.101831

[14] Hodson, G. and Busseri, M. A.: Bright minds and dark attitudes: lower cognitive ability predicts greater prejudice through right-wing ideology and low intergroup contact. Psychol. Sci. 23, 187–195 (2012). https://doi.org/10.1177/0956797611421206

[15] Bakker, B. N. et al.: Conservatives and liberals have similar physiological responses to threats. Nat. Hum. Behav. 4, 613–621 (2020). https://doi.org/10.1038/s41562-020-0823-z

引用したブログ記事

2025.05.27  SNS における政治的バイアスとデジタル・ポピュリズム

2024.08.06. 頭が悪いと差別的、右翼的になる?-SNS による偏見の助長

         

カテゴリー:社会・政治・時事問題




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