カテゴリー:感染症とCOVID-19 (2024年)
はじめに
SARS-CoV-2 の起源については多くの議論がなされてきました。パンデミック当初から、このウイルスは人為改変体ではないか、それが研究所から漏出したものではないか、という疑念が出されており、何人かの専門家やジャーナリストは具体的な科学的根拠を挙げて研究所流出仮説を主張してきました(→新型コロナの起源に関して改めて論文を読み、戦慄に震える)。
この仮説が出てきた根拠として、最初の COVID-19 の発生場所がウイルス研究所がある武漢であったこと、ウイルスのスパイクタンパク質に、他のサルベコウイルス科ウイルス種には見られない特異なフーリン切断部位が挿入されていること、中間宿主が見つかっていないことなどが挙げられています。
一方で、科学的証拠の大半は、SARS-CoV-2 が自然起源であることを示しているようです。そこから研究所流出仮説は陰謀論扱いも受けています。しかし、SARS-CoV-2 は研究所から逃げ出した人的改変体という説は、特に欧米のメディアの注目を独占してきました。そして、SNS上で、この仮説の信仰者から、多くの COVID-19 研究者やウイルス研究者が非難や誹謗中傷を受けるというところまで来ています。
今回、米国微生物学会の公式雑誌である Journal of Virology に、このような反科学的な動きが、研究コミュニティ、科学研究、パンデミック対策にいかに危険をもたらすかについての論説が掲載されました [1](下図)。著者として総勢 41 名 の名前が並んでおり、私の知り合いもいます。

このブログで、この論説を翻訳して紹介したいと思います。以下、筆者による本文のみの翻訳文です。
2024 年 6 月 3 日、国立アレルギー・感染症研究所の前所長であり、40 年以上にわたって公衆衛生の専門家として尽力してきたアンソニー・ファウチ博士が、COVID-19 パンデミックを調査する下院小委員会で自発的に証言した。彼は、多くの質問がある中で、とりわけCOVID-19 の原因となる SARS-CoV-2 の起源について問われた。公聴会はしばしば中断され、ファウチ博士を「人道に対する罪 」で「起訴」し、投獄するよう求める口論的で無礼な根拠のない声が目立った。
SARS-CoV-2 の起源については、次の 2 つの論争中の仮説がある。(i) 研究所流出仮説は、最も議論されている仮説で、ウイルスが武漢ウイルス研究所(WIV)で改変され、あるいは創られ、何らかのメカニズムで実験室から流出したというものである。(ii) 人獣共通感染症仮説は、自然起源のウイルスが動物からヒトへ感染することによって、ヒト集団に出現したというものだ。
ウイルスはしばしばヒトに流出するが、これは通常、ヒトからヒトへの持続的な感染につながることのない行き止まりの事象であり、パンデミックを引き起こすことはまれである。野生動物のコロナウイルスは、長い間ヒトに出現する準備が整っていた。
SARS-CoV のヒト-コウモリ間の接触による感染者は毎年約 66,280 人と推定されているが、そのほとんどは無症状の感染であり、ヒトからヒトへの感染は限定的か全くない。しかし、過去 25 年間で、3 つのコロナウイルスを含め、少なくとも 12 件の人獣共通感染症のウイルスがヒトに感染し、流行やパンデミックを引き起こした例がある。
ファウチ博士は、科学的データを検討した結果、ほとんどの科学者は SARS-CoV-2 が人獣共通感染症としてヒトに発生した可能性が高いと結論づけた、と証言した。その証拠に、野生動物が日常的に存在し、屠殺されていた中国湖北省の華南海鮮市場がパンデミックの震源地であったということがあり、SARS-CoV-2 の 2 つの異なる祖先系統が動物からヒトにジャンプした、というシナリオを支持している。
重要なことは、ファウチ博士が、もし実験室流出を裏付ける証拠が入手できるようになれば、それを支持することに前向きであることを認めたことである。実際、すべての科学者はこの可能性にオープンでなければならない。たとえ有力な仮説が否定されたとしても、健全で検証された新しいデータを取り入れることは、科学的訓練に不可欠な側面である。科学の重要な指針原則は、知識は質の高い新しい証拠に基づいて継続的に修正され、更新されるということである。
ファウチ博士の証言と同じ日、ニューヨーク・タイムズ紙は "Why the pandemic probably started in a lab, in 5 key points "と題するゲスト・エッセイを掲載した。これは、ブロード研究所の元ポスドク研究員で、研究所流出仮説の長年の支持者であるアリーナ・チャン博士が執筆したものである。
チャン博士は過去 4 年間、ソーシャルメディア界や一部の政治家、一般紙で大きな注目を集めたのと同じ論点を提示してきた。しかしその主張は、推測、相関関係、逸話に基づいている。チャン博士のニューヨーク・タイムズ紙のオピニオン・ピースは、SARS-CoV-2 の人獣共通感染症起源を支持する既存の科学的データを誤って表現し、過小評価している。
現在のところ、実験室漏出仮説を支持する検証済みの科学的証拠はない。さらに、チャン論文の主張は、人獣共通感染症仮説を支持する科学的データの蓄積によって否定されている。チャン博士の 5 つの重要なポイントは、ポール・オフィット博士による一般にアクセス可能なプラットフォーム、科学に基づいたポッドキャスト「This Week in Virology(TWiV)」、および科学文献で論じられているように、データによって十分に反証されている。
さらに、機密解除された報告書に記載された科学的証拠と調査に基づいて、米国情報機関の大多数は、SARS-CoV-2 の起源は人獣共通感染症である可能性が高いとしている。これらの報告書では、研究に関連した事件の信頼度の高い証拠は特定されておらず、2019 年 12 月末までに WIV が SARS-CoV-2 または密接に関連したウイルスを保有していた証拠は見つかっておらず、SARS-CoV-2 が操作された可能性は低いと結論づけている。
SARS-CoV-2 の起源に関する多くの疑問は未解決のままであり、完全に解決されることはないかもしれない。現在のところ、実験室からの漏出仮説を否定することはできない。とはいえ、ある仮説を他の仮説よりも検証するために必要な証拠のラインは、認識論的に比較できるものではない。人獣共通感染症の起源を検証することは、歴史、疫学、ゲノム解析に依存する科学的な課題であり、これらを総合すると、自然なスピルオーバーが起源である可能性が高い。
この証拠は、専門家が収集し、解釈しなければならない科学的データに基づいている。華南市場の動物から得られたはずの証拠の多くは、動物を検査する前に市場が一掃され、浄化されたために永遠に失われた。それにもかかわらず、入手可能な科学的証拠は人獣共通感染症由来であることを裏付けている。研究所流出仮説を検証するには、パンデミックの前に WIV が SARS-CoV-2 の原型ウイルスを保有していた、あるいは研究していたという諜報機関の証拠が必要である。科学界も西側の複数の情報機関もそのような証拠を発見していない。
実験室からウイルスが流出したという証拠がないにもかかわらず、研究所流出仮説はメディアで根強く注目されている。このような言説のおかげで、一般大衆の多くが、中国の研究室からパンデミックウイルスが発生したと信じるようになった。こうした根拠のない主張は危険である。詳しくは後述するが、科学者個人に根拠のない非難と責任を負わせ、ウイルス学者に対する脅迫や攻撃を助長する。
また、SARS-CoV-2 の起源を調査している科学者以外にも、科学や科学者を標的にした反科学的な陰謀主導のアジェンダの炎をあおっている。必然的な結果は、科学と公衆衛生の広範な使命が損なわれ、資源と努力が誤った方向に向けられることである。その結果、世界は現在の感染症の脅威だけでなく、将来のパンデミックに対してもより脆弱になるのである。
その多くは、人獣共通感染症によるヒトへのウイルス移行の潜在的脅威と、それを防ぐための効果的な対策の必要性を警告していた。コロナウイルスを研究し、パンデミックへの対応を主導した科学者たちは、SARS-CoV-2 を人為的に作ったり、バイオセーフティが不十分であったために研究室からの流出を許したりしたと非難されている。国際的な隠蔽工作に加担していると不当に非難されたり、NIHから賄賂を受け取ったと非難された者もいる。さらに多くの科学者が、人獣共通感染症がパンデミックの最も可能性の高い起源であると結論づけるために客観的に収集されたデータを使用したこと、あるいは単にメディアや一般市民との証拠伝達に関与したことで攻撃されている。
研究所漏出説の根拠のない主張は、科学者に対する嫌がらせ、脅迫、脅し、暴力を引き起こし、オンライン空間ではしばしば卑劣な行為が行われている。サイエンス誌に掲載された論文によれば、SARS-CoV-2 または COVID-19 に関する論文を発表したことのある研究者 510 人のうち、38%が個人的な侮辱から暴力の脅迫、「doxing」、個人的な接触に至る嫌がらせを認めている。幅広い分野の科学者 1,281 人を対象とした 2 回目の調査では、51% が少なくとも 1 つのハラスメントを経験し、時には何年も繰り返し経験したことが判明している。
科学者たちはソーシャルメディアのプラットフォームから身を引き、公の場で発言する機会を拒み、自分と家族を守るために安全対策を強化してきた。なかには、論争が少なく、タイムリーでないトピックに仕事を振り向ける者さえいる。
私たちは今、将来のパンデミックを阻止するのに役立つかもしれない研究に従事する専門家が減り、グローバルヘルスにとって重要な、洗練され、急速に進展する研究テーマの発見を伝えようとする科学者が減るという長期的なリスクを目の当たりにしている。将来のパンデミックに備えうる研究は、先送りされたり、転用されたり、放棄されたりしている。将来の備えとして最も心配なのは、次世代の科学者が、新興ウイルスやパンデミック科学に関連する分野に進出することに、十分な根拠が持って不安を抱いていることである。
研究所漏出の物語は、科学と公衆衛生のインフラに対する不信感を煽る。科学者と公衆衛生の専門家は、私たちとパンデミック病原体の間に立ちはだかり、将来のパンデミックの脅威を予測し、発見し、緩和するために不可欠な存在である。しかし、科学者や公衆衛生の専門家は、証拠がないにもかかわらず、研究所漏出仮説を推進し続けることによってかき立てられる歪んだ世論や政治的意見によって被害を受け、その組織も傷ついている。反科学運動は今に始まったことではない。
しかし、反科学はインターネットやソーシャルメディアの時代において、より凶暴化し、広まっている。科学的手法に基づいた独立した対照研究から得られた証拠を否定する一方で、壮大で実証されていない主張を受け入れることは、将来の脅威に立ち向かう上で危険な立場を残すことになる。こうした物語を放置しておくと、私たちは直面する課題に関連する専門知識や経験を持つ人々を排除し、中傷する社会になってしまう。そして、エビデンスに基づかない憶測や選択された信念に基づいて、世界中の大勢に影響を与える決定を下すことになる。
バイオセーフティ基準は研究にとって決定的に重要であるが、研究所漏洩仮説が呼び起こす不安から、米国ではワクチンや抗ウイルス剤の開発に必要な研究を不必要に制限するような政策が提案されている。米国は、世界的に見ても最も強力で安全な研究インフラを有している。米国でのウイルス学研究を対象とした政策では、パンデミックの可能性が知られているウイルスを使った研究が、他国で不十分なバイオセーフティ封じ込め(バイオセーフティレベル 3 以下)で行われ、実験室での暴露リスクが生じることを防ぐことはできない。
さらに、将来のパンデミックの脅威として迫っているのが、海外の「生もの市場」と結びついた野生生物の違法取引である。米国国務省と国連は、野生生物取引は麻薬、武器に次ぐ第 3 の違法取引であり、年間 200 億ドルにのぼると推定している。生もの市場で屠殺・販売される動物は、人獣共通感染症ウイルスを人間に感染させる明らかな脅威である。
世界的にみても、政策立案者は野生動物の違法取引や生物市場の慣行を抑制し、効果的に規制することをほとんど行っていない。このような経済的慣行は、将来的な波及のリスクだけでなく、健康の安全保障を損ない、生息地や地域社会を不安定にし、感染症の蔓延に拍車をかけている。
さらに、米国内外の動物(鶏、豚、牛など)の高密度商業畜産もまた、パンデミックの大きな脅威となっている。鳥インフルエンザ H5N1 ウイルスは現在、乳牛やその他の哺乳動物を介して拡散しており、ヒトへの感染も見られる。SARS-CoV-2 の起源に関する社会的理解が重要である理由は、このような広範な力学にある。この知識は、今後避けられない伝染病やパンデミックに備えるための研究や対策に焦点を当て、資源を配分するのに役立つ。
感染症発生への備えは、長期的なグローバル・パートナーシップに依存した、エビデンスに基づいた世界的な取り組みが必要なテーマである。裏付けのない実験室流出仮説に対応して、注意、努力、資源をそらすことは、パンデミック対策の使命に害を及ぼす。
科学は自然からの脅威に対する人類の最良の保険であるが、それは栄養を与え保護されなければならない脆弱な事業である。ウイルス学に今起きていることは、科学全体に起きていることを端的に示している。気候科学ですでに起こっているように、それは科学のあらゆる側面に、否定的で、おそらく危険な形で影響を及ぼすようになるだろう。
科学者、研究機関、科学団体は、反ウイルス学攻撃に反撃する責任がある。大学や研究機関は、反科学的攻撃から科学者を守るための政策や、研究機関のバイオセーフティの枠組みに従って行われた研究に対する法的責任の枠組みを必要としている。
科学的探求の健全性のために、科学者への攻撃は国の科学機関や財団にとって考慮すべき優先事項であるべきだ。主要な科学団体は団結して、反科学運動に対抗するプログラムを開発しなければならない。脅威の優先順位を注意深くつけ、将来のパンデミックに対して最もリスクの高い脅威に対抗できるよう資源を投入することが不可欠である。これを怠れば、COVID-19 のような次のパンデミックは、既知および未知のウイルスの脅威に対抗するための政策が失敗した結果となる。
以上が翻訳文全部です。
筆者あとがき
この論文を読んだらわかりますが、研究所流出説には十分な科学的根拠がないと言っているものの、この説を完全否定しているわけではありません。議論はオープンであるべきという立場です。科学の重要な指針原則は、知識は質の高い新しい証拠に基づいて継続的に修正され、更新されるということである、という主張にそれは表れています。
問題は、研究所流出仮説を煽るメディアの存在があり、それに触発された大衆の一部が、研究者を攻撃の的にすることで、この科学分野での仕事そのものが脅かされているという現状です。この状況に危機感を持った専門家が立ち上がり、今回のこの論説の出版に至ったわけです。
ただ、研究所流出仮説は、たとえそれが真実だとしてもその性質上、永遠にわからないでしょう。米中の機能獲得実験で中心的役割を果たしていたピーター・ダザック氏の証言は得られていませんし、土台、中国の当事者も含めて本当のことを言うわけがありません。この実験に伴って、シームレス技術(人為的改変の痕跡を消す技術)を中国に教えたバリック教授が言うように、「答えは WIV のデータベースの中にしか見つけられないだろう」ということになるでしょう(→新型コロナの起源に関して改めて論文を読み、戦慄に震える)。
その意味で、「WIV が SARS-CoV-2 の原型ウイルスを保有していた、あるいは研究していたという諜報機関の証拠が必要である。科学界も西側の複数の情報機関もそのような証拠を発見していない」というこの論文の主張も、中国を刺激するような政治的な発言を避けたとはいえ、いささか子供じみたものです。
引用文献
[1] Alwine, J. et al.: The harms of promoting the lab leak hypothesis for SARS-CoV-2 origins without evidence. J. Viral. Published online August 1, 2024. https://doi.org/10.1128/jvi.01240-24
引用したブログ記事
2021.08.05. 新型コロナの起源に関して改めて論文を読み、戦慄に震える
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