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誰が反科学なのか?

カテゴリー:感染症とCOVID-19 (2024年)社会・政治・時事問題

はじめに

COVID パンデミックを契機により広まったのが、反科学、疑似科学、デマという言葉です。例えば、COVID-19 ワクチンは危険であるとして、接種に反対する人たちが少なからずいますが、このような人たちに対しては、反ワクチン、反科学、陰謀論という言葉が投げかけられています。

それでは、反科学(anti-science)とはどういうことでしょうか。そして果たしてどのような人が反科学なのでしょうか。この疑問に答え得るような見解論文(opinion paper)が先月オンラインで公開されました [a](下図)。ずばり、「誰が反科学か?」というタイトルの論文です。

 

反科学があるなら科学もあります。一般人は、科学という言葉に漠然とした、あるいは明解なイメージを持っているかもしれませんが、実は現実にある「科学的情報」を科学として理解することはそれほど簡単ではないのです。例えば、医学分野における新薬やワクチンの効果に関する臨床データに基づく知見がある場合、一般の人はそれを科学として見るかもしれませんが、これは厳密に言うと誤解です。

臨床研究や公衆衛生研究では、理工学のような厳密な条件設定をする純粋科学的アプローチを行うことができないので、代わりに無作為比較試験(randomised controlled trial, RCT)を用います(→マスクのランダム化比較試験批判)。しかし、ここで得られるのは比較平均値と統計処理データだけであり、被験者全員にそれを当てはめることは不可能なのです。なぜなら、例えばワクチンの臨床試験において、データを平均化して効果あり、安全と導くことは、個々の生物学的差異を無視することになるからです。したがって、RCT に基づいて、例えばワクチンの効果や安全性が認められたとしても、ある人にとってはそれが効かなかったり、ある人にとっては有害にさえなります。このメカニズムをよく理解しないまま一方的な立場をとると、反科学ということになりかねません。科学と平均値の実践学は異なるものです。

今回出た「誰が反科学か?」という見解論文は、科学と反科学の境界を理解するのに有用だと思われます。このブログ記事でその内容を紹介したいと思います。

以下は、筆者によるこの論文の本文の翻訳です。基本に DeepL 翻訳を使いましたが、より理解が進むように適宜修正し、あるいは翻訳ソフトフリーで和訳しています。論文で引用された文献は、ここでもそのまま文献番号として引用しています(原則として、PubMed あるいは PMC フリー論文として引用できるもののみ)。

         

1. 目的

「反科学」とされる例が増えてきている [1]。反科学への批判は、例えば「代替医療」運動の高まりへの対抗手段であり、長い間、医学や公衆衛生の世界で頻繁にみられてきた [2]。アロパシー医学においても、矛盾する見解を否定するために反科学の言葉が用いられてきた [3]。反科学は、心理的気質や社会的背景を反映していると主張する者もいる [4]。反科学の傾向は、特に米国における COVID-19 の時期に顕著になり、極右過激主義に端を発していると報告されている [5]。しかし、本当に「科学」と「反科学」は存在するのだろうか?

2. 研究の設計と方法

この見解論文では、まず従来の科学的手法の限界を明らかにする。次に、COVID-19 mRNA ワクチンに焦点を当てた文献調査を行い、与えられた研究対象に対して科学が採用しうる幅広い視点を説明し、科学的報告がどのように発展してきたかを考察する。

3. 一つの科学というものはない

科学は観察された現象を理解し [6]、解明することを目的としている [7]。科学的知識の生産には、認識論(証拠との関係)、方法(データ収集ツール)、存在論(実体と対象データの可能な処理)、目的論(研究の目的)という、相互に密接に関連する 4 つの次元が含まれる。したがって、世界を見る単一の方法は存在せず、これら 4 つの次元の複雑さと織り合いを反映した多数のパラダイムが存在する [8]。たとえ同じ学問分野であっても、同じデータが全く異なる結果を導くことがある [9]

認識論は、知識とその限界に関する哲学的研究としても知られ、いかなる「科学」も社会学的に埋め込まれたものであり、したがって文脈的で相互主観的であることを認識している [10]。科学とは、知識領域における疑問を探求するための方法論的アプローチである。したがって、単一の「科学」というものは存在しない。むしろ、様々な学問領域が、仮説の理論化と経験的(実験的)な検証の間の継続的な交流に基づいた、一連の形式化、体系化されたアプローチを利用している。科学的方法の重要な特徴は、それが対話的であり続けることであり、交流、再試行、再評価、検証、そして時間をかけて主観的な相互理解を形成していくことである [11]。

どの分野にも、いくつかの研究手段やアプローチがある。まずは、医学も公衆衛生学も科学ではないことに注意しよう。両者とも、多種多様な証拠と研究手法、特に疫学と生物統計学に依拠した実践の分野なのである [12]

医学研究では、無作為化比較試験(RCT)というゴールドスタンダードが、証拠(エビデンス)に基づく医療(evidence-based medicine, EBMの基礎となっている。二重盲検 RCT は、介入を受ける「治療群」と、代わりにプラセボを受ける「対照群」の 2 群(場合によってはそれ以上)のいずれかに無作為にボランティアを割り当てる。無作為化により「完全に類似した」群になることが想定されるため、アウトカム(結果)は本当に介入によるものであると帰属させることができる。

ところが、臨床試験の介入による治療効果は、各群の平均的な変化で測定され、その平均値の周辺には大きなばらつきがある。このままでの平均的処置は、特定の患者に対する臨床的な意思決定の指針としては不十分である [13] 。現在主流となっている EBM のアプローチは、重要な批判に直面しており、Sackett の最初のデザイン、すなわち、研究結果の利用可能な最良の証拠は、臨床的判断や患者の好みとともに(個々に応じて)利用されるべきであるということと矛盾している [14]。この観点から、RCT の知見をゴールドスタンダードとして疾患の治療に押し付けることは、患者固有の状況や、より広範な利用可能なエビデンスセットの両方に位置づけられることなく、単純化しすぎる危険性がある。

RCT は特権的な地位を与えられており、他の形態の知識生成を否定しているため、RCTの結果に疑問を呈することは「反科学」のレッテルを貼られる可能性がある [15] 。これは不幸なことである。なぜなら、多くの医学的ブレイクスルーは、たった一度の観察から生まれてきたからである。ジェンナーによる牛痘の予防接種、スノーによるコレラの伝播に関する理解、ゼンメルワイスによる産床敗血症を阻止するための手洗い、などである。EBM [16] の盲検的適用に頼る今日の主流派医学の教義では、これらの知見は逸話的になってしまい、したがって非科学的であるとして却下されたであろう。

認識論の観点からは、理解の形式を排除することは、知識の創造を阻害することになりかねない。なぜなら、そのような排除は、たとえ何かが現在議論の余地のないものとして理解されていたとしても、知識の社会的構築の一部として継続的な理由づけや正当化の必要性を放棄することになるためである。

公衆衛生学は、実験的手法を大規模集団に適用することは困難であるため、観察研究としばしば高度な統合と理論的分析を必要とする混合的方法論に依存している。もちろん、「科学を利用する科学」 [17] が示していることは、公衆衛生学における「科学」の利用が、同時に別の効果の原因ともなりうるため、証拠が大きく異なってくるということである [18]。したがって、この分野では、証拠の概念に関する議論が繰り返され [19]、何が「効果的」なのか、あるいは「真実」なのかの判断は時として不確定であり、論争が絶えない。

憂慮すべきことに、「科学」という呼称は、産業的利益を生み出すことができれば、しばしば悪用される。一方で、他の多くの重要な証拠が都合よく見過ごされている。 例として、健康の社会的または商業的決定要因に関するものがある [20, 21, 22]

ここで、知識がどのように社会的に構築され、利用されるかという力学を理解することはきわめて重要である。なぜなら、健康への介入や、科学であると判断されるものは、より広範な対話的知識生産を禁止するようなイデオロギーヘゲモニーの組み合わせによって、しばしば固定化されてしまうからである。その要因として、好ましい科学的実践、経路依存性(経験的依存性)、既得権益、政治、より大きな声、あるいは私たちの直接的な関心事がある。

4. 一つの例:COVID-19 ワクチン

「反科学的」というスローガンは、ワクチン [23]、特に COVID-19 ワクチンを「ためらう」人々を指すのに使われてきた。しかし、科学は COVID-19 ワクチンについて何を語っているのだろうか?

以下は、メッセンジャーリボ核酸(mRNA)プラットフォームを利用した、最も広く使われている 2 つのワクチンの「科学的報告」に関する考察である。すなわち、BNT162b2(ファイザー・ビオンテック)と mRNA-1273(モデルナ)に関するものである。

他の医療商品と同様、二重盲検臨床試験は、たとえそれを商品化している製薬会社によって実施されたとしても、これらのワクチンに関して最も信頼できる科学的結果を提供するものとして喧伝されるのが普通である。二つの mRNA ワクチンの臨床試験結果は、New England Journal of Medicine 誌に掲載された。ファイザー社は 、2020 年 12 月31 日の中間結果の報告で、COVID-19 の予防に 95% の有効性を示した [24]。2021 年11 月 4 日の続報では、6 ヶ月間の追跡調査を通して 91.3% のワクチン有効性を示した [25]。モデルナ社は、2021 年 2 月 4 日に中間結果を報告し、症候性 COVID-19 の予防に 94.1% の有効性を示した [26]

同じく 2021 年 11 月 4 日に発表された盲検期終了時の別の論文では、COVID-19 の予防におけるワクチン有効性は 93.2% であった [27]。これらの研究ではいずれも安全性に関する懸念は示されていない。観察データを用いたワクチン効果の実測値は、ワクチン接種の第一波に続いてすぐに発表された。

米国疾病管理予防センターは 2021 年 4 月 2 日、両 mRNA ワクチンについて、SARS-CoV-2 感染に対する 90% の有効性が一次データで示されたと報告した [28]。2021 年 5 月 5 日に発表されたイスラエルでの最初の 4 カ月間のワクチン接種キャンペーンの分析では、2 回目の接種 7 日後のファイザーワクチンの有効性は、無症候性感染に対しては 91.5%、重症または重篤な COVID-19 関連の入院に対しては 97.5% と推定された[29]。これらの有望な結果は、これらのワクチンが「奇跡的」であるという考えを後押しするものであった [30] けれども、一方で、2021 年上半期末には、ブレイクスルー感染が報告され始めていた [31]

しかし、科学は奇跡のためにあるわけではないし、有効性の科学的証拠が、効果やより広範な影響と同等であるわけでもない。科学とは、事実を疑い、自然界と人間社会の複雑さ全体を描き出すことである。mRNA COVID-19 ワクチンについて、より広い視野で考えてみよう。

まず、上記で言及した「ゴールドスタンダード」としての臨床研究のデザインは、当初から疑問視されていた。 この場合、症候性感染が対象であり、重症度や死亡率の測定とは異なる [32, 33]。その後、ファイザー社の試験のデータの質も疑問視され、特にデータの改ざん、患者の盲検化解除、対照群の欠如が疑われた [34]。これら 2 つの懸念は、臨床試験で強調された「95% の有効性」への信頼を低下させ、科学者や意思決定者の間で議論を巻き起こすはずであった。しかし、当時、このようなことは広く起こらなかったし、COVID-19 からの唯一の出口戦略として集団ワクチン接種戦略を選択することに疑問を呈することもなかった [35]

とはいえ、中期的なワクチンの有効性と安全性については、以下に要約するように、その後の豊富な文献がはるかにニュアンスの異なる姿を描き出している。

第一に、上記したように、mRNA ワクチンの臨床試験を通して、科学は 90% 以上の有効性を示したが、これは相対的リスク減少、つまりワクチン接種者と未接種者との間の有害転帰の減少率で計算されたものである。しかし、「意思決定に役立つ研究結果の最も有用な提示方法」[36] は、絶対的リスク減少、つまり 2 群間のリスクの実際の差である。同じアウトカムデータに基づいて COVID-19 ワクチンの絶対リスク減少率を計算すると、モデルナワクチンでは 1.2%、ファイザーワクチンでは 0.84% であり、説得力に欠けたものになる。

第二に、科学は観察データを通じて、ファイザーワクチンの 3 回目の接種が入院に対して 93%(相対的)、重症化に対して 92%(相対的)、COVID-19 に関連した死亡に対して 81%(相対的)有効であることを示した。しかし、これは臨床的に無意味な期間であり、政策立案には無関係な短期的な結果である。また、たとえ「真実」であったとしても、月に 2 回のワクチン接種が必要となるため、現実的には適用不可能である。

第三に、個々の臨床試験に基づく科学的検討では、COVID-19 mRNA ワクチンの良好な安全性プロファイルが示された [25, 27]。しかし、統計的な検出力を高めるためにプールされた安全性データを再調査したところ、mRNA ワクチンは、(ブライトン共同研究 [39] によって定義された)「特別に関心のある重篤な有害事象」の過剰リスクは、10,000 接種あたり 12.5 件、つまり 800 接種に 1 件と関連していることが示された  [40] 。このような有害事象発生率は、リスク・ベネフィットの推定値との関連において文脈化(前後関係を検討)されなければならない。

第四に、有効性の衰えがますます報告されているにもかかわらず、科学は、COVID-19ワクチンが、リスクのある集団における重症 COVID-19 の予防に依然として有効であることを示唆した [41, 42, 43, 44, 45]。しかし、リスク・ベネフィット分析では、併存疾患のある免疫のない女児を除き、青少年はファイザーワクチンから利益を得られないことも示された [46]

単一のパフォーマンス指標によってのみ測定される、統計化されていない有効性は、臨床と政策の意思決定に情報を提供する唯一の基準であってはならない。同様に重要なのは、効率性、公平性、受容性を考慮することである

第五に、臨床試験は死亡率に対するワクチンの効果を評価するようにはデザインされていなかったが、観察データの系統的レビューでは、ワクチンによる「COVID-19 関連死」の減少効果が示されていた [47] 。しかし、ファイザー社の研究の補足資料によると、ワクチン群ではプラセボ群よりも死亡(全死亡)が 1 件多かった [25, 48]。統計的に取るに足らない結果とはいえ、この知見を隠すことは「責任ある研究」 [49] ではないし、倫理的にも擁護できない。プールされた mRNA 試験結果が mRNA ワクチン接種による統計的に有意な相対的「全死因」リスク増加(ハザード比 1.03)を示していることを考えると、科学の信頼性が損なわれる可能性がある [50]

科学的知見には常に疑問がつきまとうものだが、回避可能な批判のひとつは、絶対的効果ではなく相対的効果のような、研究結果の歪んだ報告に関するもので、これは誤解を招くものであり、まさに「反科学」の一形態である。上述したように、科学的方法は新しい知識を得るための手段であって、真実ではない。

注意すべきことは、科学的アプローチはデータを生み出すだけだということだ。科学者(およびその他の利害関係者)の間での審議のプロセス [51] こそが、最終的に将来の知見によって修正される新たな知識として受け入れられるのである。利用可能な最善の知識を適用することのみが、「賢明な意思決定」[52] につながり、特に民主的な手続きの中で促進される場合はそうである。

社会学的な用語で言えば、このような意思決定の形態は、私たちが認識する「実生活の世界」をよりよく反映することができるため、共有された経験や集団的な問題解決をよりよく捉えることによって、相互の社会的理解を高めることができる [10]。

無批判に「科学に従え」対「反科学」の二分法を永続させるのではなく、私たち全員が鏡を見て、何が本当に科学なのかを考えてみようではないか。何はなくとも、これにはさまざまな探求のレンズから生まれる多角的な視点で熟考する好奇心が含まれる。オープンマインドで批判的であることは、一部の医学や政治思想の指導者たちが私たちに信じ込ませようとしているように、直ちに「反科学」であることと同等ではない。

5. 結論

定義上、疑問や複雑さを探求し、絶え間ない進化を遂げているのが「科学」である。しかし、定石による単純なメッセージに還元しようとすることによって、科学者は科学にとって最悪の敵になりかねない。科学の独立性は最優先されるべきであるが、政治的都合、産業界の利益、腐敗がヘルスケアと医学界に蔓延していることが、その要求に答えられないものにしている [53, 54]

科学に対する国民の信頼を回復するためには、科学者がその方法と結果の限界を認めることであり、特定の研究結果を個人や地域社会にどのように適用するのが最善かを判断するための適切な手段を、意思決定者、集団、医療提供者に提供すべき時が来ている。科学は、万人に普遍的な青写真を押し付けるような洞察を提供することは決してできない[18]。そのために必要なのは、熟議的な科学と政治、民主的な手続き、罵詈雑言のないオープンな論争、真の理由づけ、そして最も重要なのは謙虚さへの再活性化である。

         

翻訳は以上です。

筆者あとがき

上記論文が示すように、ワクチン接種は統計平均値の実践学であり、個々の生物学的差異を無視しています。例えるなら、人は体型や大きさが異なるのに、平均サイズの服を用意し、着せるようなものです。ある人にとっては使い物にならないでしょう。このため、少なくとも S 、M、L、LL サイズの服が用意されているわけです。

医療やワクチン接種においても同様で、この意味で、テーラーメイド医療が推奨されるわけですが、ワクチン接種ではそれが無視されています。したがって、平均的な効果の裏には、「特定の人には効きにくい」あるいは「有害でさえある」という事実が隠されているのです。さらに、mRNA ワクチンの場合は、従来の抗原提示のプロセスの他に、翻訳・合成というプロセスが重なるので、余計に生物学的差異が影響するものになるでしょう。

分子生物学の理論に従えば、mRNA の設計図通りにスパイクタンパク質が生合成されるはずですが、本質的な問題として翻訳の忠実度(fidelity)は一切調べられてきませんでした。mRNA ワクチンでは、化学修飾された N-メチルシュードウリジンに替えることで、体内で「長持ち」できるようにしてあるわけですが、実はこのことが逆に翻訳のフレームシフトを起こし、本来のタンパクとは異なるものが作られる原因になることがわかりました [b]。この影響についてはわかっていません。

生物学的差異を踏まえた効果や安全性を理解するのが本来の科学ですが、それはもとよりほぼ不可能です(だから代わりに RCT を用いる)。したがって、この事実を踏まえないで、単純なメッセージに還元しようとすることが、科学にとって最悪の敵になる(=反科学になる)と論文は言っているわけです。単純なメッセージの一例として、「ワクチンの安全性は科学的に証明されている」というものがあります。これは、リスクとベネフィットの定量的表現に変えられるべきのものでしょう。

日本政府は、4 月 24 日に「新型インフルエンザ等対策政府行動計画」の改定案を発表し、パブリックコメントを募集しました [c]。この改訂案の「第 3 部 新型インフルエンザ等対策の各対策項目の考え方及び取り組み」の第4章(87 ページ)に、偽・誤情報に関する啓発という項目があります(下図)。

この改定案に限らず、ベースにあるのは、権威筋からの情報を根拠ある絶対的科学情報とし、それへの批判をデマ、誤情報としている姿勢です。mRNA ワクチン接種プログラムは、批判を許さない、いわゆるスラムダンク状態で推し進められてきました。政府や行政などの公的機関が発するものを正しい情報として参照せよという姿勢はもちろん変わっていません。しかし、政府筋からの情報に誤りがあったことを知る機会は、その後何度となくありました。

今回の論文は、反科学と批判する側が反科学である危険性があること、その背景として医学や公衆衛生の分野が科学を借りた実践学の分野であり、EBM が政治や利権によって都合よく利用される場合があることを教えてくれています。ハンセン病患者の差別は、まさにこのような状況から生まれた歴史的教訓の一つです [d]

引用文献

[a] Paul, E. et al.: Who is "anti-science"? Public Health Pract (Oxf). 7, 100493 (2024). https://doi.org/10.1016/j.puhip.2024.100493

[b] Mulroney, T. E. et al.: N1-methylpseudouridylation of mRNA causes +1 ribosomal frameshifting. Nature 625, 189–194 (2024). https://doi.org/10.1038/s41586-023-06800-3

[c] 新型インフルエンザ等対策推進会議(第 11 回): 新型インフルエンザ等対策政府行動計画(令和 6 年 4 月 24 日時点案). https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ful/taisakusuisin/dai11_2024/gijisidai_2.pdf

[d] 窪田順生: 政府の「ワクチンデマ潰し」「反ワクの徹底排除」がとんでもない悲劇を招くワケ. DIAMOND ONLINE. 2024.05.02. https://diamond.jp/articles/-/343069

引用したブログ記事

2023年5月7日 マスクのランダム化比較試験批判

        
カテゴリー:感染症とCOVID-19 (2024年)社会・政治・時事問題



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