以下の内容はhttps://drfridge.hatenablog.jp/entry/2026/02/04/045429より取得しました。


弱いものいじめ

 人間社会には、必ず強い者も、弱い者もいる。生まれつきのものもあるし、生まれた環境の違いもある。社会生活の中でも、何かにつけて、ばらつきは生じるものである。人々が生活していく中で、思わぬ災害や事故などによって、幸不幸が別れることもある。戦争による被害はその時だけでなく、後々までも尾を引くものである。

 そうした色々な結果として、大きなばらつきのある人たちが皆同じ権利を持って一緒に暮らしているのが現代の市民社会である。

 その中で人々はどうしても周囲より少しでも上を目指して競争する。競争すれば、必ず勝者も敗者も生じる。能力の違いによることもあるが、それぞれの環境の違いや、運不運によることも大きい。

 勝者は敗者を見下し、敗者は己の不幸を残念がることになりやすいが、いずれにしろ、それで人間としての価値が変わるものではない。勝者も敗者も人間は多面的なものであり、どんなことにもばらつきがあるもので、時代によって世の評価も変わるものである。強かろうが弱かろうが、勝とうが、負けようが、人間としての価値は同じである。

 そういうことを知っていても、現実に弱いものいじめは無くならない。戦後、都会のあちこちで浮浪者が溢れ、浮浪児いじめや、浮浪者狩りが行われたことはまだ記憶に新しい。

 『摘んでも摘んでも生い茂る「根無草」』とさ言われ、多くの市民に嫌われ、官民一体の浮浪児パッシングが行われたが、なぜ浮浪児になったのかを追及し、その手当や救援は遅れがちであった。社会は空襲で家族に死なれ、家をなくした不幸な子供達を救うことすら出来なかったのである。

 最近、問題になっている生活保護者へのパッシングも、この弱い者いじめの現れである。誰しも、最低限の健康な生活は憲法で保障されている国民の権利であるにもかかわらず、生活保護受給者に対する嫌がらせが拡がり、国までが違法な保護費減額をしているのである。

 生活にゆとりがないほど、いじめの現象も増えるようで、戦争中のいじめについて語られている本もあるし、生活保護に近い所得者になるほど、生活保護者に対する嫌がらせやいじめが強いようだが、自分は彼らより少しはマシだという思いが強いのかも知れない。それに便乗した生活保費切り捨ては許せない。

 誰しも生きる権利は平等である。それを守り、守らせるのが政治であり、当事者は政府である。

 

 




以上の内容はhttps://drfridge.hatenablog.jp/entry/2026/02/04/045429より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14