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忘れられない12月8日

「十二月八日」がまた巡ってきた。もう今の若い人には判らないかも知れないが、八十四年も前のことでも今だに、私はまるで昨日のことのように覚えている。中学一年生だった。

 朝寝床でラジオが叫ぶのを聞いた。「大本営発表大本営発表、帝國陸海軍は本日未明西太平洋において米英両国と戦闘状態に入れり」という発表が繰り返し伝えられた。

「とうとう来たか」と思わず身震いしたのを覚えている。どうなるんだろうと不安な気持ちにもなったが、続いて真珠湾攻撃アメリカの戦艦を撃沈したなどという戦果を聞いてちょっと安心した。

 それまで子供の頃から外国といえば、ヨーロッパよりアメリカであった。「青い目をしたお人形はアメリカ生まれのセルロイド」という歌が流行っていたし、ニューヨークの摩天楼やヨットの看板に寝そべったビキニ女性などの写真の絵葉書や、アメリカからの土産話を聞いていたし、日本郵船や大阪商船の太平洋航路もあったし、夢のような憧れの国だったのである。

 母方の里が貿易をしていて、安物の陶器などをアメリカへ輸出していたので、アメリカの話をよく聞いていた祖母が「あんな大きな国と戦争して何が勝てるもんかね」と言っていたのに対して「婆さん何を言っとるんだ」と思ったものだったが、反論は出来なかった。

 それまで、1937年から日本の中国への侵略が始まり、支那事変と言われ、北京、上海、南京から内陸の武漢三鎮まで占領しても、中国政府は首都を重慶に移し、重慶の無差別爆撃にも耐え、ABCD援蒋ルートによる米英などの助けも受けて抵抗を続けていた。日本も些か攻めあぐねでいた。

 元々、日本は満州国(現在の中国東北部)を傀儡としてでっち上げ、日独伊三国同盟を作って、ドイツとともにソ連を東西から挟み撃ちする構想などを主に、満州に最強の関東軍を展開していたが、ノモンハン事件で完全に敗北し、以後、ソ連とは日ソ不可侵条約を結び、急に南進に変更して、フランス領だったベトナムを占領し、やがて日米戦争で、石油目当てにインドネシア(当時時はオランダ領)を狙う南進に変わっていった。

 その後があの惨めな負け戦の連続であった。せっかく海軍に行ったのに、もはや軍艦はなし。陸戦の訓練で、これで勝てるのかと疑問に思ったが、先は「何とかなる」しかない天佑神助頼みしかなくなった。

 それでも生まれた時から叩き込まれて忠君愛国、天皇陛下の御為には鴻毛の如き命を差し出して、本土決戦では死のうとまで覚悟したところで敗戦の詔勅大日本帝国から放り出されてそれまでの自分を全て失ってしまった戦後の闇社会。

 その始まりがあの12月8日だったのである。私にとっては死んでも忘れられない日になってしまったのであった。




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