袴田さんが58年もの長い間、殺人犯として扱われ、ようやく再審で無罪となった事件を契機に再審制度の見直しなども行われているようだが、新聞で見ていても、容易ではない再審に辿り着き、無罪を獲得する犯罪が多すぎるように思えてならない。
前川彰司さんは 中3女子殺害で服役したが、拘束されていたヤクザの男の血がついたシャツを見たという証言で、有罪とされたが、他に物証はなく、血のついたシャツを見たという日のTV番組の日も供述と合わなかったりしていた由である。
西山美香さんは 知的障害のある看護助手だったが、患者の吸入酸素を切って殺したとされて服役したが、誘導尋問が強く、物的証拠もなく、老人の自然な死だったのではと考えられる。初めからこれは患者の自然な死亡だろうと思っていたケースである。
また、三十六歳の保育士の男は 自宅にいたところ、逮捕され、同僚が虐待するのを見たとして起訴されたが、証拠のないまま300日間勾留されている。
大川原という輸出会社は禁輸物質を輸出したとして社長以下何人かが起訴され、一人の役員が勾留中に癌になったが外の治療も受けられず、死亡したが、結局、無罪となって、警視総監が謝る事態になった。
関生事件では和歌山県警、京都府警、滋賀県警などが関与し、組合い潰しのために何人かの人が逮捕されたが、国連の視察もあり、組合運動の正当性が認められて、皆無罪を勝ち取ることが出来たそうである。
思い出せば、女性の厚生省の事務次官の立件、無罪の例も思い出される。
最近の報道で知ったものだけであるが、昔から「疑わしきは罰せず」が司法にとっての原則であるが、今ではどうも、それよりも、早くストーリーをまとめて一件楽着にし、実績を積もうとする官僚的発想が優先しているのではなかろうかと疑わざるを得ない。
10年も20年も拘束されて、釈放されても、その人の人生は元には戻らない。検察や裁判官も人であるから間違いも起こす。それだけにより慎重に罪のことと、その人の一回限りの人生を考えて判断して欲しいものある。
国民の信頼を取り戻すためにも、ここらで司法の抜本的改革が考えられても良いのではなかろうか。再審についての見直しも行われているようだが、国民の人権を考えて、もっと審議が早く公正に行われるようになることを期待して止まない。