ニューヨークに住んでいる娘が亭主と一緒にまた来てくれた。そこへ、フランスへ行っていた孫がアメリカへ帰る途中で寄ってくれた。ロスに長らく住んでいた下の娘も、ここのところ日本に根拠を移して、年老いた両親の面倒を見てくれている。
こちらも、8月後半には、思いもかけず、コロナに罹って入院し、末にやっと帰ってきたところである。女房もこのところ、すっかり老け込んで、弱ってしまった。折角、皆が集まってくれたので、来年の3月になれば、満百歳になる二つ違いの姉の息子である、大阪在住の甥も呼んで皆で食事を共にすることにした。
私が、九十七歳、女房が九十一歳とあれば、もうどちらかが何時ぽっくり行っても不思議ではない。これが最後の晩餐会になるかも知れない。そう言って、食事を始めたら、昨年にも皆が集まった時に、そう言ったらしい。こちらはもう終わりに近いが、家族はまだまだ元気な様で心強い。
皆が集まったので、色々な話で盛り上がったが、いつもそうだが、我が家でそれぞれが喋る言葉は、英語と日本語のちゃんぽんが基本になるが、その他の言語が出てくることが多いのも興味深い。
上の娘は日本語、英語が日常語で、スペイン語が学生時代からのメジャー、アメリカへ行ってから中国語とドイツ語も身につけている。亭主がドイツ系のアメリカ人なので英語、日本語のほか、ドイツ語はお手のもの、それに昔中国にいたこともあり、中国語も喋れる。
中国語は漢字が日本語と共通していることが多いので、喋るのが難しくても、字面を見れば意味がわかることが多いが、日本語と中国語では、全く意味の違うこともあり、「面白い」を「面白」と言っても通じず、変な顔をされたようなこともあるという。
なお、ニューヨークでは、個人的に異言語をお互いにメールや電話で話し合って、言葉を覚えるシステムがある様で、娘はいつしかそれで中国語とドイツ語をマスターしたという。
そこへ孫がこれまた、フランスの会社と契約し、フランスへ行っていたが、よく言われる様に、フランス人はフランス語で英語を話せない人が多いので、孫は仕事を介してフランス語を覚えた様である。孫は英語、日本語、スペイン語の他に、今ではフランス語も喋っている様である。
また、珍しいのは、唯一人の甥は、学生時代にアラビア語を学んで、商社で長い間ドバイなどに駐在して仕事をしていたので、日本語、英語の他にアラビア語にも堪能である。
最近の日本では、日本に住む外国人が増えたこともあり、昔は外国語といえば、もっぱら英語だったが、いつの間にか我が家でも、英語の他にも、いろいろな言葉が喋られるよになって来ている。
我々の次の世代になると、、どうなることやら。次の世代のことはもう分からない。