以下の内容はhttps://drfridge.hatenablog.jp/entry/2025/07/18/044538より取得しました。


子供の時の思い出

 一番古い子供の頃の思い出は?と聞かれて、それこそ一番古い思い出を思い出そうとしたが、最早はっきりしない。せいぜい幼稚園に入る前ぐらいの頃から記憶が残っているようである。

 西宮市宮西町に住んでいた頃より前の記憶ははっきりしない。少し離れた別の場所で生まれたようだが、どんな所だったのか、全く記憶にない。その頃に、そこらの宅地開発が進み、その一角に移り住んだようであった。阪神の香櫨園の駅から東へ、西の宮戎神社との間ぐらいの線路より北側で、すぐ前には大銀行の役員だかの大きなな門構えの家があり、他にも高い板塀で囲まれた家が続いていたが、まだ空き地も多く、開発のために牛車が土を運んできては田圃を埋めている姿があちこちに見られた。

 家を出ると少し南を阪神電車が通り、北に行くと阪神国道があり、国道電車が走っていた。家から外へ出ると少し離れた所に阪神電車が見え、香櫨園の駅までも近かった。

 家から近い所で、時々電車が止まることがあり、なぜ止まったのか母親に尋ねたところ「運転手さんが腹痛でも起こしたからかもね」と聞き、その後また電車が止まっているのを見て、「運転手さん、また腹痛起こしている」と言ったことをなぜか今も覚えている。恐らくその近くに信号でもあったのであろう。

 香櫨園の駅の近くに「お庭の幼稚園」というのがあって、そこへ通っていたが、クリスチャンの園で、英語の歌なども教えてもらったが、Good Morning to youのto youが汁と聞こえ、どんなお汁なのか気になって仕方がなかった。

 また、小学校の校区は国道を超えた安井小学校だったが、国道は交通量が多いので危ないからと言って、阪神電車より南の少し離れて所にあった建石小学校に行くことになっていた。

 当時はスペイン風邪パンデミックの影響がまだ残っていたのか、冬に外出する時に黒いマスを多くの人がしている光景もあった。また赤痢や腸チフスの流行もあり、一緒に遊んでいた子が突然死んでしまう様なこともあった。私もジフテリアにかかって入院し、意識朦朧としていた状態から回復した時の感じを今もぼんやり覚えている。

 香櫨園の駅のすぐ前に回生病院の診療所があり、万波(マンナミ)?先生が人力車に乗って往診に廻っていた。どこかの家の前に人力車が止まっているのを見て、病人が出たなと噂されたものであった。

 この頃の一番大きな出来事は昭和9年室戸台風であった。まだ幼稚園であったが、猛烈な風が吹き、すぐ前の家の松の木が倒れ門を潰し、我が家の塀がまるで紙をめくっるように巻いて、外れてしまったのであった。幸い私の家の被害は少なかったが、多くの学校が潰れ、子供を庇って共に亡くなった先生がいたりして、大阪城の南西に「教育塔」が立てられた。四天王寺五重塔などが倒れるようなこともあった。

 翌年入学した時に、小学校の建物にここまで津波が来たと言う印がまだ残っており、見ると自分の背丈よりも高い120センチあたりに線が引かれているのを見て、びっくりさせられたものであった。

 また当時の思い出でとしては、甲子園球場ができ、巨人阪神戦を見に行って、球場のトイレでクラスメートと出会ったことや、恵比寿神社の池で亀を捕まえようとして、ずぶ濡れになったこともあった。

 もう100年近くも昔のことなので詳しいことは忘れてしまっているが、今思い出してみると色々あったものである。




以上の内容はhttps://drfridge.hatenablog.jp/entry/2025/07/18/044538より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14