7月7日は何の日か知っていますか?
七夕なのは当然だが、今年は令和7年7月7日と7が三つ続くラッキーセブンの日だなどと、どこかに書かれたりしていましたが、更に、日本人にとっては、忘れてはいけない日だったのです。
1945年8月15日に惨めな敗戦で終わったあの戦争が始まった日なのです。普通には、戦争が始まったのは1941年12月8日の真珠湾攻撃からだと思っている人が多いかも知れませんが、実際に戦争が始まったのは日米戦争ではなく、昭和12年(1937年)7月7日北京の近くで起こった盧溝橋事件がきっかけの日本軍による中国侵略戦争が始まりで、それ以来、敗戦の日まで日本はずっと戦争をしていたのです。
私がまだ小学3年生の時でした。当時は”支那事変”と言われていました。その頃の思い出として、日清戦争、日露戦争というのになぜ、昭和の戦争は満州事変、上海事変などと、皆、同じ戦争なのに何故、戦争と言わずに、事変というのか不思議でなりませんでした。
日本は盧溝橋事件以後、「蒋介石を相手とせず」と宣言しながら、宣戦布告をすることなく、あくまで事変として侵略戦争を拡大し、北京から上海へと戦線を広げ、やがて南京を占領して中国政府を重慶に追いやるなど、中国本土の広範に戦線を広げ、実質的な戦争を仕掛けて侵略して行ったのでした。
当然、この日本の侵略行為に反対する世界の声も高くなり、ABCD援蒋ルートなどで中国を助け、”支那事変”は次第に膠着状態となり、長期化し、米英その他の国との対立も強くなり、仏印進出や、ノモンハン事変なども挟み、ついに1941年12月8日の日米戦争となったわけです。
従って、戦争の始まりは真珠湾攻撃よりはるかに古く、1930年の満州事変と言っても良いぐらいだが、1930年から1937年の間は戦争がなかったので、やはり1937年の”支那事変”があの戦争の始まりと言って良いのではないだろうか。
出征兵士万歳と、駅ののホームに整列して日の丸を振ったり、慰問袋や手紙を書いたりもしたし、毎月7日は「興亜奉公日」とされていて、天皇や皇族の新聞記事をあらかじめ切り抜いたものを学校で集め、校庭でで燃やすようなこともした。当時は、今のようにトイレットペーパーなどなく、新聞を小さく切り揃えた小片などが利用されていたので、”恐れ多くも天皇陛下の写真で”尻を拭いたらバチが当たるということで、こんな馬鹿げたことが真面目に行われていたのであった。
その始まりが盧溝橋事件の1937年7月7日だったのである。盧溝橋というのは北京の近くにある古くからの橋で、清の皇帝が月見をしたことをマルコポーロが書いているので、アメリカやヨーロッパではマルコポーロ橋とも言われていたようである。
当時その近くで夜間訓練していた日本軍に対して銃声があり、隊員が一人いなくなったのが始まりのようです。その兵士はトイレにでも行っていたのか、やがて帰ってきたようだが、日本軍に対する発砲だとして問題化し、それが支那事変の始まりになってしまったとも言われています。満州事変の柳条湖事件が日本軍の謀略だったことは明らかになってるので、盧溝橋事件も同じようなことだったのかも知れない。
過去のことは今更どうにもなりませんが、今また、アメリカにのせられて軍備拡張が着々と進められています。今一度、将来、再び同じような戦争や事変に巻き込まれないように声を上げて行こうではありませんか。
なお、昨日、夕刊が来たので見たら、一面の記事は七夕空襲が大々的に取り上げられており、7月7日前夜から未明にかけて、千葉、甲府、明石、清水(静岡)の空襲があり、一晩で2千人以上の人が亡くなった旨を報じていたが、盧溝橋事件についてはどこのも記載がないようであった。