「南方の戦場を思い出すからと死ぬまでバナナを食べなかった父」という歌が朝日新聞の「歌壇」に載っていた。南方というだけでは太平洋の孤島なのか、大陸なのかは分からないが、補給が続かず、餓死が兵士の最大の死因だった南方派遣の日本兵の食糧事情は恐るべきものだったに違いない。
バナナを食べて生き残ったというぐらいなら、バナナはむしろ懐かしい思い出となり、自慢話のひとつにでもなろうというものである。それが思い出したくないというからには、その背景には人には言えない壮絶な苦しい経験があったのに違いない。
南海の孤島という閉じられた島で、しかも上下関係の厳しい軍隊の中で、餓死から逃れ、何とか生き延びようとした食糧の取り合いは想像するだけでも、それこそ死に物狂いの戦いであったに違いない。どんな卑劣、残酷や悲惨を超えてでも、何とか生き残ろうとするのが人間の本性ではなかろうか。
飢えに苦しんだ将兵たちはそれこそ死に物狂いで、食糧の取り合いをしたに違いなかろう。南方でバナナのおかげで生き延びたというようなものではなく、バナナは真っ先になくなり、生きるために必死で食べられるものを探しては奪い合い、しかも軍隊であるから、それが指揮系統の理不尽な権力や暴力の元で行われたのであろうから、それこそ弱肉強食の血生臭いまでの生存競争があったことだろうと思われる。
そんな思い出したくない、人には話せない過酷な運命を経てやっと帰国できた「父」はこの戦場での惨状だけは絶対に人には語れぬ思い出だったのであろう。
同じ戦争の思い出でも、あまり極端な場面に合わずに済んで帰国した人たちにとっては、通常では経験出来ない戦争の思い出を自分の胸中だけにはしまって置けず、相手の意向も構わず、自慢話をして相手に嫌がられたものであった。
それに対して、シベリア抑留者や戦地での残虐行為などの過酷な経験を強いられた人たちは決して当時のことを喋ろうとしなかったことを思い出した。
付け加えれば、全くレベルの違う話だが、あの時代を体験したばかりに、私でさえ、今だに、君が代は聞かないようにしているし、日の丸には目を背けたくなるのをどうすることも出来ないでいる。