この二、三年、老人性難聴になって、よく聞き違えをするようになったことについては既にこのブログでも触れたことがある。テレビでハッピを着たおじさんが「狭いから、狭いから」と言って踊っているので、何が狭いのかと思ったら、「狭いから」ではなく、「出前館」という出前屋さんのコマーシャルだったというのがあった。
老人性難聴が治ることはないので、その後も同じような間違いが続いているが、もう社会的に活躍しているわけではないので、聞き間違えが周囲に迷惑をかけることも少なく、正しいことは女房や娘が教えてくれるので、聞き違えは楽しむものだと思っている。
最近の聞き違えを思い出してみると、「梅」が「海」になったり、「風習」が「空襲」になったりする。「気泡」かと思えば「希望」で、「塩麹・漬け」かと思えば「広小路」のことである。また「壊れたTVドラマ」と聞いてびっくりしたらは「優れたドラマ」で安堵し、「髪を留めて」は「愛を込めて』のことと判る。「廊下トレーニング」というから廊下でも走るのかと思ったら「嚥下トレーニング」だったりする。また「むすんでうみだす」というので「結んで膿を出すのか」と思ったら「進んで生みだす」と言っているのだったこともある。
近頃は女房と私に、近くに住む娘が来て、一緒に夕食をすることが多いが、その時の女房と娘の会話が面白い。母娘なので何やかや喋っているが、こちらは半分ぐらいしか分からない。当然聞き違いも多い。
この間は娘が近頃は何処へいっても「ごぼう」を売っていないと話しているので『ほんまかいな。「ごぼう」のようなものが品切れになる事など考え難いのになあ』と思っていたら「ごぼう」のことではなく「ドジョウ」のことであった。
また、そんな聞き違えで、最近、大笑いしたのは、母娘での保険の話だった。色々話してる中で、「希望保険」というのを聞きとったので、そんな名前の保険でも勧められたのかなと思って聞いていたが、「希望保険、希望保険」と繰り返すうちに、ようやく生命保険と結びつき、「死亡保険」と分かった。私が加入している孫が受取人の生命保険の話をしているのだった。ようやく分かって三人で大笑いしたのだった。
難聴も結構色々楽しませてくれるものである。